サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

魚好きのボヤキ

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魚が好き!

とりわけ青魚が、食べるのも料理するのも大大大好きなのです。

(青魚愛については別の場所でも語ってまして…若干うざい人になってます

青魚をほめ讃える | リレーコラム | 東京コピーライターズクラブ )

 

そんなわけで、スーパーやデパートの鮮魚コーナーでも

きわめて積極的に店員さんに話しかけます。

「鰤、今日切り身出してるなら奥にアラもありますよね?」

「この鰯の目めちゃ透明!ナマス最高ですよね?」

「この真鯵、3枚におろして中骨もください。骨センで一杯やるので。」

「鮎の黄色いのと白いのってどうちがうんですか?どっちが美味しいの?」

楽しい…魚トークほんと楽しい!

ところが最近、残念なことを続けて聞いたので、

今日はそのことを書いてみたいと思います。

近所の某スーパーでの話です。 

 

豆鯵が安いとたくさん買って、塩胡椒小麦粉を薄くはたいて揚げ

南蛮酢にジュッ!と漬けて食べるのが大好きです。

ところがしばらく前からお店にこの豆鯵のパックが見あたらず、

先日ついに鮮魚売り場の人に質問しました。

「なんで最近小魚ないんですか?」

「それはですね…」

なんでも豆鯵のパックにたまに別の稚魚や稚蟹がまじっているのに

お客さんからクレームが入ったそうで、店側としては

それらを完全に除くのは無理なのでパックをやめたとか。

ふうん…残念。

その人も、ちっちゃい蟹なんか入ってたらラッキー♡くらいに思えると

いいのにね。  

 

そしてもうひとつ。

 

新鮮な青魚を手頃な値段で見つけるともう必ず、

♪いずれナマスかカルパッチョ…♪ などとつぶやきながら

カゴに入れてしまいます。

そして質問するテイで嬉々として店の人に話しかけます。

ところが近ごろ、相当新しそうなものにも表記に

「フライ、煮物用」と書いてあって、なんか不思議でした。

 

ある日のこと。

鰯の新鮮で大きいやつが5〜6本も入って安く売られていたので、

「最高!」とばかりに、梅煮にするかなますにするか思案。

そして、近くにいた鮮魚担当の男性に質問しました。

「これ、今日なます、いけますよね?」

すると男性は

「もし生で召し上がるなら、フリーザーで半日ほど冷凍してから

冷蔵室に戻して、解凍してから食べてください」と。

「!?」

…変だなぁ。

どう見てもこの鰯の目、私の目より澄んでるよ?

「それ、、めっちゃ味落ちますよね?」

「ハイ。ですが最近アニサキスの問題がTV等で話題になって…」

ははぁ。

お店としては、生魚に寄生虫がいてお客さんがお腹壊しても

責任取れないので、表記は「フライ、煮物用」に、

私のような質問には

「凍らして寄生虫を死滅させてから食べるべし」と

答えることになっている様子。

その温度感はすぐ察せられたので、

「わかりました!でもこれ、前に ’お刺身用’ として出されてたのと

同じくらいの鮮度ですよね」と質問を変えてみた。

するとくだんの店員さん、顔にはわかりやすく

「そう!刺身がうまいです!」と書いてあるものの、

「そうなんですが、お刺身で召し上がるならいったん冷凍して…」

とまた話し出したので、

「了解しました!」と答えて退散。

もちろん冷凍再解凍なんかせず、なますにして美味しく食べました。

 

寄生虫対策はよく見てよく洗うしかないですよねえ。または加熱。

お腹痛くなったら困るけど、そこは魚屋さんのせいにできないように思うのです

(お寿司屋さんなら責任あると思うけど)。

クレーム対策も過ぎると、おいしい魚が食べられなくなりそう…

 

以上、魚をめぐる残念2題でした!

 

 

青空の奥

 

本日は五月晴れの素晴らしいお天気。

もうすぐ夏、その前に梅雨…。

湿気がなくて爽かで、こんなにいい季節は今だけだなぁ。

 

澄み切った空を見ていて時々思い出すのは、ある短編のこと。

ブログタイトルにも入れさせていただいている、

敬愛する星新一先生の超有名短編集「ボッコちゃん(新潮文庫)」収録の、

「お〜い でてこ〜い」というショートショートです。

 

ある日ある村に突然大きな穴が出現。

穴に向かって「お〜い でてこ〜い」と叫んでも反応はないし、

底は見えず、小石を投げ入れても音もせず、

ためしに垂らしてみたロープは縁でちぎれて落ちてしまうし

調査することもできない。

学者や議員やマスコミがよってたかって騒ぐけどそのうち飽きて困り、

村は集会場を建ててもらうのを交換条件に、ある企業に穴を譲ってしまう。

すると企業は、生ゴミから核ゴミまで持ち込まれたゴミを

次々にその穴に捨てて処理して大儲け。

おかげで街はすっかりきれいになり、空もますます澄んでくる。

ところがある晴れた日、空から「お〜い でてこ〜い」という声がして

そのあと小石が一個落ちてきて…というお話。

先を想像してゾッとする大好きな短編です。

 

下に捨てたものが上空から落ちてくる、という設定が

子供心にもシュールで、はじめて読んだ時の衝撃は今もって色褪せず。

天地が折りたたまれる感覚は映画「インセプション」みたい。

地元や役人が途中で投げ出してお金に転ぶところなどは、今思うとリアル…

 

とにかく、ぬける様な青空から一つの小石が落ちてくる、という

ラストシーンが私には遠いトラウマとなって、

青空を見るといつもその奥にかすかな不安を感じるのでした。

(2017年、変なものが落ちてこないといいですねぇ。。) 

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物陰からガッツポーズ

 

広告の仕事をしていると、

担当した商品には思いっきり情がうつります。

 

私の仕事は主には、

すでに売られている商品の立ち位置やメッセージを

時代や市場の動きに合わせてリフレッシュし、

新たに広告に仕立てるという作業ですが、

クライアント直で商品企画の一から入ることも多く、

MDから「今度こんなものを考えているのだけど」という相談をうけて

どんな風に市場に出すかを一緒に研究しながら、

こちらではアイデンティティとなる言葉やネーミングを考えます。

 

そうやって新しくなった子(商品やブランドです!)や

市場デビューした子(商品やブランドです!)のことは

ほんとうに可愛くてしかたありません。

 

先日、とあるヨーグルトをリニューアルする仕事があったのですが、

もちろんスーパーに行くたび売り場をチェック。

そうなると、商品の向きやらなにやら気になります。

横を向いているやつは全てきれいに正面向きに。

商品が少なくなっているとつい

「ちょっと〜減ってるんだけど〜在庫あんの?」的な顔で

店員さんを見たりしてしまいます。

 

ほぼ毎日陳列の向きを直していたら、警戒されたか

最近はきちんと置かれるようになりました。

結構売れてる感じだ…うれしいな〜。

でもきっとこれ、監視カメラにヨーグルトの向きを

(それも特定のブランドだけ)直す中年女として映ってるよね…

 

もちろん時々、2分や3分は売り場の隅に立って

買っていく人を観察していますよ。

手に取る人がいたら?

…それはもう小さくガッツポーズ!

 

 

 

 

母と娘 〜朝ドラ「ひよっこ」から

 

朝ドラ「ひよっこ」を見ている。

まだ始まって3週間だけど、

これは一種の ’バディもの’ ではないかと思った。

誰と誰の?というと、母と娘の。

www.nhk.or.jp

 

序盤の大事件とその顛末で、

出稼ぎ先の東京で行方不明になった夫を探しに行って

手がかりなく戻った母(木村佳乃)が

心配かけまいとこれまで黙っていた事の次第を

娘のみね子(有村架純)に告白するシーン。

「母さんはここで父さんを待ち続けるよ」。

涙ぐみながらこう言った母にみね子が答えたセリフが

「わかったよ」。

この瞬間に母と娘のスタンスが変化したことが見えてぐっときた。

 

さきの母に対しての答えは、

「うん」。

「そうだね」。

「私も待つよ」。

などいくつか考えられるけど、娘の答えは「わかったよ」。

このセリフはなかなかすごい。

このひと言にこもっているのは、

「わが家の状況はわかった。母さんの気持ちもわかった。

その上で私は私のできることをするよ、そう決めた」という決意表明だ。

これを言ったことで親と子供だった二人の関係は一部対等になり、

女性同士の信頼関係が誕生した、と思った。

 

子供が成長して庇護しされる時期が終わると、

母と娘には新しい関係が始まると思う。

それぞれ「女としてのタイプ」もちがうだろうし、

家族だから一緒にいたけど個人としては気が合わないとか。

だがこれまで母が注いだ愛情はしっかり娘の心の中に残り、

たぶん、生きるための磁石のようなものになっている。

(自分の場合は、悔しいことや理不尽なことがあった時、

「こんな思いをさせるために母は私を生んだのではないだろう」

と思って立ち向かったりします…)

また母は娘を分身のように感じて未来に放つのかも。

何度も励ましあったり口喧嘩をしたりしながら、

たとえ愛憎が入り交じっても、

親娘はかけがえのない同志になっていくのでは。

 

来週からドラマは東京編なので

また全然違う方向に進むのかもしれないが、

みね子の上京で母の木村佳乃はあまり出てこなくなっても

みね子の中にバディとして棲んで冒険を支えるんじゃないかな。

 

なんて勝手に想像しています。 

 

 

映画ショートレビュー1

 

暇さえあれば映画を観ていますが、観っぱなしで感動が走馬灯…

もったいないので忘れないうちに覚書。

(観た順・ネタバレあり・メモレベル)

 

The NET 網に囚われた男

(物語/漁の最中にうっかり流され南北の国境線を超えてしまった北朝鮮の漁師が、南で拘留された後帰国するまでの顛末。キム・ギドク監督)

国家社会的に不自由で貧しく、ただただ素朴と思われた北朝鮮の漁師が、

登場人物の中で最も洗練された人生観と健やかな身体を持っていた!

彼は劇中ずっと「王様は裸だ」と叫んでいるのだ。

帰国後の悲劇はその感受性ゆえ…そこが残酷だと思った。

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http://www.thenet-ami.com/

 

  

LA LA LAND 

(物語/女優の卵とジャズを志すピアニストが出会って恋に落ちるが、夢を叶えるために二人が選んだ道は…。ご存知大ヒットミュージカル。ジェイムズ・チャゼル監督)

話はよくある、踊りも歌もミュージカルとしてはイマヒトツ、

という評判もあるそうだけど、私にはとても響いた。

まず冒頭の、高速道路での群舞、ここですでに胸キュン。

お約束のラブストーリーに心地良く乗っかりつつ、

成功のきっかけとなる最後のオーディションの歌に号泣。

どんな職業でも、いつかもっと満足のいく自分に!と

もがいている人には等しく響く、胸が痛くなる歌詞…

Audition ~The Fools Who Dream (翻訳石田泰子氏・抜粋)/

おばは似ていた 無限の空と絵を輝かす夕日に

どうか乾杯を 夢追い人に たとえ愚かに見えても

どうか乾杯を 厄介な私たちに

おばは私に教えた 少しの狂気が新しい色を見せると

明日は誰にもわからない だから夢追い人が必要と

反逆者たちよ さざ波をたてる小石よ

そして乾杯を 夢見る愚か者に

どうか乾杯を 破れた心に

私が女優を目指した理由 おばと雪とセーヌ川

笑顔で跳んだおばは言った もう一度跳ぶと

(泣‥)

 

ラス前のパラレルワールド的演出もココロ憎い。

ちなみに二度目の観賞に大昔にダンスを習っていた母を連れていったら、

タップのシーンで座席でピョコピョコ脚を動かすなどして

めちゃくちゃ感激していた。 

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http://gaga.ne.jp/lalaland/

 

おとなの事情

(物語/カップル3組+1人のホームパーティースマホを公開し合うというゲームで次々明らかになるそれぞれの秘密と本性。パオロ・ジェノベーゼ監督)

男性4人は高校時代からの友人だけど女性同士はそんなに親しいわけでなく、

ふ〜んこの夫にはこういうタイプの妻が添うのか…など興味深い。

軽く破滅に向かっていく展開&会話の行間が面白いサスペンスだった。

夫婦で観るといいかな?モメるかな:)

そして、イタリア人って意外に(?)保守的&ケチなんだなと。。

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http://otonano-jijyou.com/

 

LIONライオン〜25年目のただいま

(物語/迷子になったインドの少年がオーストラリア人夫婦の養子となり幸せに成長するが、望郷の念捨てがたくGoogle earthで生家と母を探す実話。ガース・デイビス監督)

「世界にはこんなにも人があふれているのに私が子供を産まなくていい。

むしろ親のいない子の母親になる方がいい。」とは里親になった母のセリフ。

そうか、子供を産まなくても母親にはなれるのか、それもこんなに偉大な母に。

ということは母性は妊娠したら湧いてくるものじゃなく元から備わってるもの?

子供のいない私でも、これからでも、母になれるのか? 

そんなことを思った。

スラムドッグ$ミリオネア」で少年だったデヴ・パテルが

すっかりイケメンの大人になっていた! 

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http://gaga.ne.jp/lion/

 

 はじまりへの旅

(物語/森の奥でヒッピーのように暮らす一家が、入院後病死したママの葬儀へと向かうロードムービー。ピュアな彼らにもたらされる変化とは。マット・ロス監督)

インディペンデントとは?自由とは?を考えさせつつ、テーマは「卒業」。

家族って最小のローカル単位だから家庭は容易にガラパゴス化する。

ガラパゴスの中は楽園で、独自ルールで暮らしてきた家族は

知識や体力を身につければ強い動物としてそこでは生きていけても、

他者と折合うしかない社会では生きづらいんだな。

超大人として描かれて、厳しくムコを糾弾しながらも孫には

ありったけの愛情を注ぐじぃじ(死んだママのお父さん)が頼もしく見えた。

 

世俗という鎧は重いけれど必要だ。

ただその内側を柔らかく温かくしておけばいい。

森の奥で時折り鳴っていたシガーロスの音楽がまさにその感じ。

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http://hajimari-tabi.jp/

 

作家、本当のJ.T.リロイ

(物語/80年代に一世を風靡し時代の寵児となった美少年作家J.T.リロイの実体は中年女性だった。虚像を作った彼女の内面と経緯を追ったドキュメンタリー。ジェフ・フォイヤジーク監督)

二つの味がおいしい映画。

①なぜフェイクキャラを作ったかという解明部分。 

②コロッと騙されたセレブたちの滑稽と彼女の飄々の痛烈な対比。

 

悲惨な過去が彼女の逃避キャラを生み出したにしても、

書かれた小説は実績で、アイコンがフェイクという一点を除き活動も全て真実。

どんな経緯があってどんな形をとっても、才能はこぼれ出てくる。

「どうして世間はJ.T.リロイの存在を信じたと思いますか?」の問いに対し

「…それは私がそう言ったから。人は誰かが断言したことを信じるものよ」と。

このセリフは、昨今のいろいろを考えると怖い。

人は信じたいものを信じる。

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http://www.uplink.co.jp/jtleroy/

 

 

…これからもちょいちょいメモします:)

 

ひとの気を知りすぎて

 

前回書いた「忖度」と似た言葉に「斟酌」というのがある。

(ひとつ前の記事:ひとの気も知らないで - サバ缶とボッコちゃん

 

【斟酌(しんしゃく)】

(水または飲料などをくみわける意から)①あれこれ照らし合わせて取捨すること

 ②その時の事情や相手の心痛などをうう分に考慮して程よくとりはからうこと。

 手加減すること。③ひかえめにすること。さしひかえること。遠慮。辞退。

 〜広辞苑第五版

 

辞書を引いてみたら、思っていた以上の意味があった。

②程よくとりはからう はわかるとして、

③ひかえめにする。遠慮。辞退。と書いてある。

これは萎縮、に近いのでは。。。

 前回、コピーが炎上した例をあげましたが、

これでお客さんがCMや広告を取り下げることが通例になれば、

企画提案時から「斟酌」がまかり通って

気持ちに届く言葉を作れなくなりそう。

  

結局、他人の気持ちを想像して(ここまでは素敵)

わかった気になって(これは傲慢)、

かつ求められてもいないのに遠慮したりする(やりすぎ)

のは、コミュニケーションをつまらなくすると思う。

 

言われてもいないのにビビること、

ここまで言ったら賛否あるかも、を自主規制すること。

「忖度」は「斟酌」へのイントロになってはいけないねぇ。

だから新聞もテレビも、流行りの「忖度」という言葉は

「斟酌」と区別して正しく使ってほしい。

 

真面目か。。 

 

ひとの気も知らないで

 

最近「忖度」という言葉が流行って(?)る。

 

【忖度(そんたく)】

(「忖」も「度」も、はかる意)他人の心中をおしはかること。推察。

「相手の気持ちを〜する」 〜広辞苑第五版

 

このところは相手の圧を勝手に感じて便宜をはかった、

みたいな文脈で使われているけど、本来の意味は「推察すること」のみ。

先回りしてあれこれするのは「斟酌(しんしゃく)」だよね。

で、「忖度」の意味を正確に知ると、

コピーを作る時に私が大いに行っているのは忖度だなと思った。 

 

「読み手の心の中に入って書く」とか

「言ってほしいと相手が思ってることを言葉にする」とか

「頭が発火するくらいターゲットのことを想像する」など。

これらは先輩から教わったコピーライティングのコツで、

「一旦主観を後退させて他人の心によりそって書くべし」ということだけど、

実践はするものの成果を出すのはなかなか難しい。

 

共感コピーです、といっても

わかった気になっているだけということもちょいちょいで、

ターゲットはうれしくもなんともなく

響かない上にむしろ不快、ということもある。

例に出して申し訳ないのですが、最近だと

化粧品会社の「25歳からはもう女の子じゃない」や

電車マナー広告の「都会の女はみんなキレイだ。でも時々みっともないんだ」とか…

これらのフレーズは軽く炎上していた。

 

誰かを傷つけたのかな…

共感の幅がちょっと狭かったのかな…

なんとか記憶に残そうと語られた言葉なのに、

見た人は何かにひっかかってカチンときた。

その分届いているのだと思うし、

最近は受け取られ方も厳しいなぁと感じるけど、

商品やブランドに代って言葉を発する以上、

受けとられ方には鈍感でいられない。

ひとの気も知らないで、または知ったような気分になって

書いたと受け取られたコピーは、好かれず宙に浮くみたい。

 

だから「忖度」しまくる。

いまこの言葉は「悪いこと」みたいに使われている(ような気がする)けれど、

本来は、未知の他人とうまくコミュニケーションするための

まじめな行為だと思うのです。

 

一方で、

(続く)