サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

すべてのミズ・オリーヴ・キタリッジへ

 

三月一日だ。

そろそろ冬はちょっと後ろに置いてきた感。

本格的な春になる前に、この冬読んだ

噛みしめるとじんわり美味しい、

ドライフルーツみたいな連作短編をご紹介。

 

「オリーヴ・キタリッジの生活」。

米国メイン州の海沿いの街に暮らす女性数学教師と

周辺の住人がおりなす日常の物語。

人の暮らしは外から見えているままではなく、

誰しも心の奥に複雑な思い(大概は苦い思い)があることが、

淡々とした筆致で語られていく。

 

人のいい薬剤師の夫、ヘンリーを尻に敷きながら

言葉は苛烈、皮肉屋でがっしり大柄な中年女、オリーヴ。

そのとっつきにくい外面とは裏腹に

彼女の生活は豊かな感情と小さな傷に満ちて、

止まることなく流れていく。

 

8つのエピソード全部の主人公が彼女というわけではなく、

登場人物の高校時代の担任だったり

会話に名前が出てくるだけだったり

遠景にちょっと顔を出すだけだったりする。

近所に住む人たちには

献身的な若い薬剤師、失意のピアニスト、

愛情を受け取ってくれない息子とその嫁などが登場し、

人生が痛いこと、大切な人がいつかいなくなること、

それでも勝手に人は自分を消したりできないこと、などが綴られて

こちらの心にじわじわと繊細な根をのばしてくる。

 

最初の話では40代のオリーヴは話ごとに年を重ねていく。

その時間経過の中に描かれる

しみじみと苦い気持ちや時おり日が差すような瞬間は、

まるで自分が経験したようで、私は、

長い長い散歩をしているようだな〜と思った。

 

「老けたのか?老けたのだ。でもまだこの世を去る気はない」。

そう独白するオリーヴ。

その姿は孤独だが海岸通りの逆光線に照らされて眩しく、

平凡な毎日をしっかり歩きつづけられる幸福を

教えてくれていると思った。

 

大好きになった一冊です:) 

オリーヴ・キタリッジの生活/エリザベス・ストラウト著(ハヤカワepi文庫)

 

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ちょっと座らない?

 

仲間と「日本ベンチ協会」というコミュニティを

つくっています。

 

「ベンチ」は街や公園にあるあのベンチ。

きっかけは学生バンド結成並みのテンプレで、

2年ほど前に飲み屋で突然「ベンチって面白くない?」と

もりあがり(そんな話になった経緯は忘)、

その後何度か集まっているうちに今の形に。

旅先で撮ったベンチの写真を集めたり

椅子をつくる会社に突撃して話をききにいったり

電鉄の企画に相乗りしてベンチをかついで街歩きしたりと、

ゆる〜くとぎれとぎれに、活動中です。

 

ここで私のベンチ愛を。

ベンチって存在そのものがとても今で哲学的なのです。

 

1。ベンチは「途中の存在」

ベンチは、駅や公園やバス停など移動中の人にとって

スタートとゴールの間にある。

「ひと」休みで長居しない場合が多いし

そのベンチはあの時とこの時の「間」のような時空間になるし、

その時の自分はおそらく、公でも私でもない。

 

2。ベンチは「モードを変える」

座ると気分が変わって、怒っていた人は落ち着くし、

泣いてたあの子は泣き止むし、疲れた人は休まる。

ついでに視点が低くなって街の景色も違って見えるし、

近所パン屋さんのいい匂いがしたり風の音も聞こえるかも。

 

3。ベンチは「偶然をよぶ」

隣に恋人や友だちじゃなく、知らない人が座るかもしれない。

そこで「いい景色ですね〜」とか話してもいいし、

シャイな人は「隣にこないでオーラ」を出してもいい。

そこで何かが起きたり起きなかったりする。

猫や鳩が座ってる場合も多いけれど。

 

ベンチのそんなところが昨今の、

右だ左だ!男だ女だ!あんこだクリームだ!…と

なんでも白黒つけたがる世の中にちょっと足りない、

「どっちつかずでいいしどっちかに決めなくていいし

まぁぼーっとしていったらいいじゃない」という

メッセージを懐深く体現していると思う。

 

そんなわけで、

’ちょっと座らない?’

というスローガンを作りました。

前ばっかり見て速足で進んでいた人も、ちょっと座らない?

その話ゆっくり聞きたいから、ちょっと座らない?

このあと予定ないんだったら、ちょっと座らない?

いろいろあるけどまあちょっと座らない?

という呼びかけです。

以下のサイトに哲学とコンセプトも作文しています:) 

日本ベンチ協会(Nippon Bench Association)

 

今年中には社団法人化する話も出てるけど…

あくまでゆるゆるで活動しているわれわれでした:)

 

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ただいま受験勉強中

 

久しぶりに参考書を使って勉強しています。

何かというと、仕事で組んでるアートディレクターに

「すぐとれるし役に立つよ」と教えてもらった

『健康管理能力検定』というやつ。

内容は、人間の体内リズムの仕組みや各器官のはたらきなど

人体にまつわるあらゆることで、

3級に受かると「生活リズムアドバイザー」

2級に受かると「健康リズムカウンセラー」が名乗れます。 

昨今は資格ビジネスが跋扈しているようですが

自分は食品や化粧品に関連した仕事も多いし、

一応、文部科学省後援の検定だし…いいんではないかと。

 

参考書は高かった(ホントに)けど内容はなかなか充実。

保健や医学的なことだけでなく

東洋医学の話題から派生して自然や歳時記のことなども

わかりやすく説明してあって面白いです。

歳時記といえば以前、

学校を卒業して最初に入った会社の書庫で

「日本の歳時記」という箱入りの豪華本を見つけて

仕事にかこつけてそれに夢中になっていたので、

二十四節気のことや食養生のことなどを読むと

その頃を思い出す感じで、意外と頭に入ります。

 

受験本番は3月18日。

これからまだ2級の本をまるまる勉強しなくちゃならないので、

そうのんびりはしていられません。

落ちたら報告はスルーさせていただきます…

 

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今日はいくらで何を観る

 

2017年に観た映画は88本(映画館で76本・他は録画等)。

これまででいちばん観た年になりました。

 

なぜこうも映画に行くようになったかというと、

空き時間を埋める方法を他に知らない

ということもありますが、

SNS等で知人の感想が頻繁に目に入ることや、

一回行けば予告を観るしチラシももらってくるしで

好奇心が刺激されてしまうせい。

 

沢山見るとお金もかかるので、

自営で比較的時間が自由になるのをいいことに

*1日映画の日*水曜レディースデー*半券割

*20時以降割引*配給会社の割引デー 等々を駆使。

とにかく定価1800円では観ない!方針で

安く観ることに使命を感じてしまっている今日この頃です。

 

こうなると「観たい一本をどう安く観るか」より

「空き時間に(今から)安く観れるのはどれか」という

行動をとるようになり、本末転倒…

週末は夫と「夫婦50割」でやっと

好きな時間に観たかったものを観る、という。

 

でもですね、

最初の期待値が低いせいかもしれませんが、

安いからと若干渋々観た映画が意外に良くて

感動することも多いのです。

 

自分の好きなものなんて狭くてたかが知れてます。

今年もこの「じゃあ今日はこれしかないよ」に流されつつ、

面白い一本に出会いたいと思っています。

(写真は去年「今日はこれしかないよ」で良かった一本:)

 

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何せこの雪で

 

東京は久しぶりに大雪です。

積雪警報が出るのは2014年以来4年ぶりだそうで、

「積もってる」「電車止まってる」「早く帰ろう」と

ニュースもSNSももりあがっています。

誤解を恐れずに言えば、

困りつつも誰もが少々うれしそうではありませんか。

台風の時も同様ですが、ふわっと蔓延する

この高揚感はなんでしょう。

  

「やりたいのはやまやまですが今日は無理ですね。

何せこの雪で」。

今日は先生もクライアントも借金取りも文句言えないはず…

不可抗力を前に「胸を張ってあきらめる贅沢」、

この一時停止感が人々を解放するように思います。

逆に、悪天候でもないと忙しい日常や

退屈というルーティンから降りられない

私たちなのかもしれません。

(もちろん激甚災害は除きます)

 

最終的には大丈夫、が前提のワクワクや心配。

「コマッタコマッタ帰んなきゃ」と言い合う小さな贅沢。

ひかえめにもりあがるそんなひと時を大切に感じて、

今夜はそれを楽しもうと思いました。 

 

というわけで降雪最高潮のタイミングで郵便を出しに:)

 

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溺れかけている人

 

つれあいを失くしたわたしの大切な友だちは電話で泣いたり笑ったり、

それはもう水面と水中を浮いたり沈んだりしてるのを

水中カメラごしに見るようで、

ああこれは溺れている人だ、涙の海に、

でも天気のいい海に溺れかけている人だ、と思った

 

カナヅチの自分はどうやって助けていいかわからなくて、

ほんとうは一緒に溺れるしかないか

むしろ溺れてしまいたいと思うのだが、

自分には溺れることは許されてないのだなと

わかっているのだ。

 

(一昨年のある時期に思ったこと。) 

 

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耳コピ目コピ

 

幼い時からピアノを習っていたこともあって、

なんとなく絶対音感的なものがある。

(プロや弦楽の人からすると、趣味のピアノレッスンで

身につけた程度の音感は「点」ではなく「幅」で

とても「絶対」とはいえないらしいが、ここはなんとなく)

 

絶対音感があると、

メロディを聴いてすぐ譜面にできるし、

他にも

駅の発車のジングルやカラスの鳴き声がドレミで聞こえるし

方言のイントネーションがかなり正確に再現できる(笑)。

バンドを組んでいた頃はこの「耳コピ(耳で音程をなぞる)」で

新しい曲を聴いてすぐ弾く手に移せてなかなか便利だった。

人生が変わるほどのトクをしたことはないけれど。

 

ところで、「耳コピ」があれば

「目コピ」もあるなというのが最近の感想。 

仕事で長めの文章を書く時などは

直前まで読んでいた文章の「ノリ」に影響されがちで、

これは知らず知らず「目コピ」しているのだと思う。

何かのはずみでアイドルのブログを読んだ後は

やたら短く行替えがしたくなったり、

古めの翻訳小説を読んだ後などは

言い回しが硬くなったり漢字が多くなったり。

…うむ、良し悪しだ。

 

 巷の素敵なコピー(ここはコピーする意でなく宣伝文のこと)を

「目コピ」しまくればもっとよい一本が出てくるのではないか、

そう思って、頭脳や思考を通さず憑依させるように

広告コピーをたくさん読んでみるが、

残念ながらそれですぐ自分からも溢れ出てくるほど

ことは簡単ではない。

とはいえ案外文字通り「身についてる(で片っ端から剥がれおちる)」

気もするため、先週は、新聞や年鑑や著作などで

いろいろな人の手になる広告コピーに目を通した。

新年早々インフエンザで外出できなかったせいもある。 

 

というわけで今年もジタバタ。 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。