サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

職人とビジネスマン

 

フリーになる前、

長く会社員クリエーターとして働いてきた。

 

広告代理店にいた頃は恥ずかしながら自分を

「表現にこだわる職人タイプ」じゃないかと思っていて(冷汗)、

企画ファーストの粘り腰で提案し続け、

営業やお客さんにも面倒がられたりたまには喜ばれたりしていた。

 

ところが近ごろ、個人で素晴らしい仕事をされている

アートディレクターや演出家の方とご一緒すると、

時に落ち込んだり反省させられたりする。

__自分の「バランス感覚」にげんなりするのだ。

 

いまは広告代理店をはさまないで(それがちょうどいい規模感で)

直接クライアントの新商品のロンチや

ブランディングを手伝う仕事が多く、

市場で一歩抜けることや新しい市場をつくることを使命に、

良い結果を目論んで戦略や企画表現を工夫する。

それらに

「高費用対効果」や「明快なわかりやすさ」が

求められることは当然だけど、

しばしばお客さんからは

「社内各部の意見を一致させて進みたい」

「上層部好みの案も追加してほしい」

「本国からきたCEOの功績にしたい」

等の人間くさい要望が現れて、

まだほわほわに柔らかい製作中の企画の前に立ちはだかる。

 

そんな時自分は、そのすべてには

「それは理屈が通らないです。却下で」とは言えない。

もちろん全部を受け入れるわけもない。

でも、依頼した監督やADの中には、

「それなら降ります」「これは質に関わる。できない」と

キッパリ言い切って清々しい方もいらっしゃる。

 

忖度や多数決や無理筋のスケジュール、

輪郭立ったクリエイティブには辛いこれらを

押したり引いたりなだめたりしながら実現へ運ぶ。

そのためにはブラフや根回しや

「まぁまぁ」といった美しくない態度さえ…!?

それは組んでいる彼らに良い仕事をしてもらうためでもあるけど、

やり方はブザマな搦め手だ。

そんな自分に憮然として落ち込むのだ。

 

思えば会社員の時はこの「そこをなんとか」を

他部署がやってくれていたのだし、

表現より前に「仕事をこしらえること」「依頼されること」の

大変さを今はとてもわかる。

費用はクライアントから出ているのだし。

だけどそうやって自分にきた仕事だからこそ

120%の力でクリエイティヴするべきで、

そこがジレンマとなる。

 

他の独立系CDはどうマインドを強化されているのかな。

今度きいてみたいと思う。

(しかしこのポスト、自分ブランディング的には全くマイナスですよね…)

 

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夏休みの終わり〜映画「フロリダ・プロジェクト」から

 

ふと。

子供の時って「いつまでも子供でいたいな〜」とは

思わないんじゃないかな。

その幸せをまだ他と比べたことがないから。

 

少し前に「フロリダ・プロジェクト」という映画を観た。

定収入がないためアパートを借りられず、

ディズニーワールド周辺のモーテルに暮らす若い母親ヘイリーと

6歳の娘ムーニーをめぐる人々のひと夏の物語。

ぷっくりと体温が高そうなムーニーは、

その体全部で毎日を謳歌している

(子役のブルックリン・K・プリンスがかわいい!うまい!)。

母親ヘイリーは偽香水売りでなんとか生計をたてているが

素行が悪く、周辺に迷惑をかけながら次第に追い詰められ、

やがて誇りにできない商売に手を染めてしまう。

 

おしゃまなムーニーの世界は、

同じモーテル暮らしの友達と笑い、走り、悪戯をする毎日で

子供らしくて影がなく、とても幸せそう。

青い空、ぼうぼうと茂る緑の濃い草。

カラフルな建物の入り組んだ中につくる秘密基地や

友達と交互になめるアイスクリーム。

そんなシーンに、子供時代の夏休みを思い出した。

ヘイリーはいわゆるヤンキーというかDQN的な人なのだが

そこに陰惨な育児放棄などはなく、

貧しいなりに娘にせいいっぱい愛情をかけて、

育てているというよりまるで戦友同士のように

二人で懸命に生きている。

19歳の母ヘイリーもまた大人になりきっていないのだ。 

 

映画は定石通り、楽しい日々は突然に終わる。

ちっちゃなムーニーはある時期の自分に別れを告げて

歩き出さないといけなくなる。

 

成長しなければならないことは、辛い。

 

少し前、虐待されて命を落とした女の子の事件があった。

そのことをここで論じるつもりはないけれど、

たった5つの女の子が文字を覚えて反省文を書いていたということが

いたたまれなくて深く同情した。 

子供の時は「いつまでも子供でいたいな」とは思わないだろう。

その時代の幸せをまだ他と比べたことがないからだ。

そんな年ごろなのに無理やり大人にならなければ

ならなかったんだとしたら、かわいそうすぎる。

 

何かを知ったりわかったりすることを、

若い時には「成長」という。

年齢が上がると「成熟」や「老化」「悟り」と言ったりもする。

知ったとたんに知らなかった時代は過去になり

無垢だった自分がどんどん遠くなっていく、寂しさ。

その気持ちは、なんだか夏休みの終わりに似ていると思った。

 

これからも何度も何度もくる、夏休みの終わり。

映画のムーニーも自分も、

その寂しさをこのあと何回も噛みしめて生きていくんだろうな。

 

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書いて覚えておく。と、それ以外は忘れてしまう。

 

すごく印象に残る出来事があった時。

例えば、映画に感動したり

街でちょっと面白いことに遭遇したり

忘れたくない旅の思い出や

心を動かされた人生イベントなど。

それを忘れないうちに、

誰に伝えるでもなく文章に(日記やなんかに)残しておく。

 

で、後日たまたまそのことを人に話す機会がきて

話し始めると、なんということか、

たいてい書いた内容をそっくりそのまましゃべっているのだ。

近い出来事の場合は、記憶を頼りになるべく

作文したこと以外の詳細を話そうとするのだけど、

面白かった、印象に残った部分はもう形容詞や表現まで、

文章とまんま同じ言い回しでしゃべってしまう。

 

ちぇっ。もおっ!

記録すれば安心なのか?

それ以外は忘れちゃってもいいっていうの??

自分ってほんっと〜〜に才能ないんだなぁ。

心動かされたことを血肉にする才能がさ。

 

と、面白いことがあって人にしゃべるとき、

「こんなに型にはまってしまうなら作文しなきゃよかった…」と

自分の脳みそが悔しいのです。

(写真は落下してきた肉を捉えた瞬間のホッキョクグマ。お暑うございます。)

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音楽と言葉と国

 

先日wowowで、米国トニー賞授賞式を観ていて思ったこと。

 

トニー賞は、期間中にN.Y. ブロードウェイで上演開始した

演劇やミュージカルなどの舞台芸術に与えられる賞だそう。

司会はじめノミネート俳優や監督もほとんど知らない方ばかり、

授賞式はアカデミー賞(映画)やグラミー賞(音楽)より

しろうと目には地味な印象ながら、アットホームな進行でとても楽しめた。

 

発表とともに受賞者の演目の一部が再現されるのだが、

どれも誇りに裏打ちされた歓喜はちきれんばかりのステージで感動。

偏見やいろいろな問題を抱えているけどアメリカって(どこの国もだが)、

ことエンタメに関しては本当に懐深くて素晴らしい国だと思う。

英語がもっとできたらさらに楽しいだろうなあ。

 

そこでふと思った。

いったい、「音楽」「言葉」「国(意識された帰属意識)」は

どういう順番で生まれたんだろう。

 

お猿だった時代(ざっくり)から嬉しいときは飛んだり跳ねたり

棒で何か叩いて音を出したりしていたとしたら、まずは音楽か。

いやいや、大昔からお猿間コミュニケーションはしていただろうから、

ウーとかアーとかレベルでも言葉が先(文字はまだとして)か?

いや「ボス猿」というくらいだからまずは縄張りや帰属意識かも。

 

そんなことを思ったのは、こういう肉体芸術の発表において、

構造がシンプルであればあるほど

(かかるコストやしがらむ組織団体が少ないほど)

理性よりも本能というか原初的な幸福にあふれて、

我を忘れて楽しめるんだな〜と感じたせい。

 

なら、こうかな…

まずはひとりでも歓喜や感傷を表現できる「音楽」。

次に他人が近くにいれば当然生まれるだろう必要な「言葉」。

最後に、群れて共感と安全を(同時に不自由も)得る「国家」。

(さらにず〜〜っと遅れて「宗教」?)

 

そうなると、少なくともくだらん人種差別や国境は無視して

様々なエンターテインメントを楽しみたい。

歓喜ベースで生きられたらしあわせ、多くの人がそう感じるから、

トニー賞やアカデミー、グラミーはこんなにもりあがるのかしら。

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形容する言葉

 

雨。

長く愛用していた傘が壊れたため、

今日は別の傘をさしてお昼を買いに出た。

 

その傘は、明るいグリーンに黒いチェックマーク✔︎みたいなのが

全体に散らばってる柄で、

たたんで袋に入れるとサボテンを模しているのだとわかるが

広げるとその意図はちっとも伝わらず、

派手な色が服に合わせにくくて出番も少ない、微妙な傘である。

それをさして歩いている時、

ふと頭に「ばかげた傘」という言葉が浮かんだ。

 

なぜ「ばかげた」という形容詞が浮かんだかというと、

おそらく自分好みの翻訳小説の、風変わりだったり

素直じゃない登場人物が出てくる話の訳文で

「ばかげたカーテン」とか「ばかげた会話」みたいに

たまに使われていたのを気に入って、

そのままインプットしていたのだと思う。

 

ところで、「ばかげた」という形容詞は「傘」に使うだろうか。 

 

コピーを書く仕事にはいつも、いくつも形容することばが必要で、

ただ「楽しい」とか「おいしい」「面白い」「不思議な」といった

ざっくり大きな形容詞は、そのまま素直には使いづらい。

「楽しい遊園地」や「おいしいごはん」じゃ

平凡すぎて宣伝文句にならない。

「おいしい」や「不思議な」を使うとしても、

形容対象の単語と面白いギャップがあって

強烈に新鮮に見えるように使うとか(怖れ多すぎる例ですが…

糸井さんの「おいしい生活。」「不思議、大好き。」)。

むしろ「どうおいしいか」「どう面白いか」の「どう」を

どのように形容するか(または形容しないか)、と

常に頭をひねっている。

 

ある仕事で、ぶどう味のおいしさを形容するのに

「ちゅるんとおいしい」と表現したら、

「味に「ちゅるんと」とは一般的でない。修正」と、

お客さんの確認部署からチェックが入って困ったことがある。

もちろんあまり使わないから使ったのだが、

その時は説明や代案に悩んだ上に、

伝わらなかったか…と他の意味でも落ち込んだ。

 

例が卑近すぎたかもしれないけれど、仕事ではいつも

’その一行を(共感も反感も計算して)印象に残す’ 使命のもと

はまる・素敵な違和感を考えているが、

それは受け入れられる範疇でなければならないのだ。

その点で小説は自由だなあと思う。

 

だから「ばかげた傘」という表現は

「誰が買うの!?っていう微妙なセンスの傘」

「持つと何着てもおしゃれに見えない傘」

「誰もサボテンの柄だって気づかない傘」

という感じをひっくるめてぴったりだなと思ったのだ。

とはいえこの「ばかげた傘」、

パン屋との往復10分でそんなことを思わせてくれて、

実は「なかなかの傘」なのだということがわかった!

 

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ある旅行

 

先週わが家に実家(関西)から母がやってきて、一週間滞在した。

 

母は好奇心が旺盛で、

「〇〇行く?」ときくとほぼ「行く」と言うし

「〇〇食べる?」ときくと「ええな」と言ってくれ、

昨秋にも来ているけれど、

今回は気候もいいのでいっそうもりだくさんに。

 

東京駅へのお迎えに始まり、

押上の東京スカイツリー

銀ブラ&あんぱん購入

明治神宮で参拝

代々木公園で昼寝

渋谷でデパート巡り

近所の新旧スーパーを巡って品定め

自宅で並んで料理

二子玉川でリバーウォッチと映画鑑賞と蔦屋家電

近所の江戸前寿司

などなど。

こちらは仕事を夜朝でやっつけつつ、

正味6日であれこれ充実させた母シフトだった。

 

最終日は彼女を品川まで送って家に戻ったとたんに

目を開けていられなくなり、床に倒れて爆睡。

ぐったり。

はて。こんなに疲れるなんて…!?

普段同居してない高齢者(80歳)をアテンドしたんだもの

ぐったりして当然、そうは思ったがちょっと疲れすぎ。

で、この感じが何かに似てるな〜と思ったら、

海外旅行から帰った時のあの感じだった。

 

歩く速さ、周囲への用心、近道の検索、休める場所の確保。

母を連れて行く街は、

住み慣れた都内でも外国みたいなもんだったのだ。

たぶん母にとってそうだったから、

その気持ちが私にもシンクロしたのかもしれません。

 

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ソーシャルとは窮屈なもの

 

SNSというものをやり始めて20年くらいたつ。ことに驚く。

最初はtwitter、同時期にmixiも始めた。 

 

昔から何か書くのは好きで、

小6の時きれいな日記帳をもらったのをきっかけに

日々を綴るというより、詩や短いお話みたいなものや

先生への要望書(!)や男子振り向かせ作戦(!!)等

子供らしいくだらないことを書きなぐっていた。

もちろん人に見せるなんて想像もしていなかった

(親には読まれた)。

 

大人になってmixiを知ると、

それまでHPを作る発想さえなかったのに

その便利さ楽しさに感動し、

書いたものに反応があることがうれしくて、精力的に更新した。

SNS黎明期の牧歌的・刺激的な交流も楽しかったし、

そこからだんだん記名で他者の目を意識するようになった。

mixiは5〜6年続け、そのあとFBに移った。

 

いまSNSで「忖度」「炎上」は日常だが、

ソーシャル・ネットワーク・サービスとは

小学生の日記帳ではなくて大人社会なのだから、

「マナー」という名の無言の縛りがあるし、

人の動向や広告も目に入るので

マウンティングや乗っ取りも起きる。

当然利用には気を使うべきで、エネルギーも結構いるから

疲れて離れたくなる流れは自然だと思う。

こんな、FBやLINEへの嫌気から生まれた新しいSNSだって

誰かが作ったフォームでソーシャルなもの。

記名でやる以上、忖度からは逃れられないと思う。

 

個人HP「サバ缶ボッコ 」をつくったのには

いま思うとそんな気分もあった。

ここは仕事サイトに紐付けているだけで、

リンクの目的は仕事に興味を持ってくださった人に

ちょっとだけ人柄もお知らせできたらということ。

見に来る人も少ない。

せっかく書いてるんだからSNSと同期したら?

と言われたりもするが、

なるべく小学生の時の日記帳に近い気持ちで書けて

mixiで芽生えた自己顕示欲もちょっぴり満たされるなら

これぐらいがちょうどいいのかな〜 

…なんて、

1ヶ月も更新が止まってたブログを前にして思案なげ首。

 

※参考資料

2017年「公表データ」で見る主要SNSの利用者数と、年代別推移まとめ