サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

アンフェアな勝負「北風と太陽」

 

有名なイソップ童話「北風と太陽」ではこう言っていた。

無理強いしてもうまくいかないよ、と。

旅人のマントをどちらが先に脱がせるかという競争で、

強風でマントをぶっ飛ばしちゃえ!と目論む北風に

ニコニコ照らして旅人を暖めまくった太陽が勝つ。

教訓は「強制するより相手を自らその気にさせるべし」。

そりゃそうだ、と自分も深く頷いた。

 

この話をネタに

「企画をごり推しするよりお客さんへ共感を作りながら説得すべし」

「市場インサイトに敏感に販促を考えるべし」

なんて仕事に関連づけてオチつけようみたいな気はなく。

この童話に自分はもうひとつ別の教訓を感じたので、

それを書こうと思う。

 

北風はただの「風」ではなく「北風」なので、もともと冷たい。

北風のコマンドには

「冷たく吹く(冷たさ度合いはいろいろできる:)」か

「なるべく吹かさない(風なので「無風」はできないはず)」の

どちらかしかない。

でも太陽は

「ギラギラ照らす」「ほどよく照らす」「照らすだけ(明度あげるだけ)」

みたいな幅で温度を自由に上下させられるわけで、

どんどん照らして旅人を日射病で殺すこともできるし

ポカポカさせまくって眠気を誘い旅を続けられないようにしたり

ちょっとしか照らさず旅人を凍えさせたり

骨粗鬆症にしちゃったりもできる。怖い。

この二者じゃ勝負にならないよなあ…そう思った。

 

つまりこれは、元々「能力」「個性」に差がある二者の勝負で

「北風の負け」を通して教訓を語ろうという、

結果ありきのストーリーなんです(イソップだから当たり前か)。

いや、世の中はこの話のように実力差や向き不向きがある中で

競わねばならない場面の方が多いのだし

この話にフェアを求めてもしかたないけど、

よく知られている方の教訓「強制せず対象自らをその気にさせるべし」

だけではなくて、

「能力差のある相手と不利な勝負をする場合、いつもの技だけでは勝てない」

という教えもあるなと。

 

ちなみに、翻訳童話などには「風と太陽」という版もあるみたいですが、

イソップの原題は「北風と太陽」のようです。

(安易なソースで恐縮ですが英語版wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/The_North_Wind_and_the_Sun

 

北風が「そよ風」だったら、結果はまたちがったかもしれないなあ。

 

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ハッとしてプチ反省

 

いつのまにか

映画やドラマでの「お約束的展開」に慣らされちゃってるな〜

と気づいた、先日のプチ反省。

 

・・・

ある映画で、失踪していた男が久しぶりに女のもとに戻り、

雇われたカフェのカウンターに初めて立つシーン。

「あんたコ−ヒーなんか淹れられるの?」と問う女に

「うん。さっき教わった…」と言って男が厨房に消えてしばらく、

奥からゴボゴボゴボ…と由々しき音がして、女が心配顔になる。

 

ここで当然(というか無意識に)私は、

「ごめん、失敗しちゃった〜」と男が出てくるか、

女がひどくまずいコーヒーを前にしているシーンに続くと思っていた。

 

ところが映画は、しばらくの間の後

カウンターでうまそうにコーヒーをすする女の姿になった。

「うん。おいしい」と。

 

・・・

それだけのことなのだが、

軽く意表をつかれたことが心に残り、

監督はなぜそうしたのか、と考えるきっかけになった。

そして、自分はなぜそう決めつけていたのかと。

 

 

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上記のシーンが含まれています。

地味だけど(スミマセン)しっかり人間味のあった映画

「ひかりの歌」杉田協士監督/渋谷ユーロスペース他 

 

 

ご用意されていなかった言葉

 

「コトバ」山本高史さんの修行時代のコラムを読んで、

自分もコピーライターになりたてだった頃のことを思い出した。

 

学校を出て制作プロダクションに就職して1年目。

先輩の指導の下書かせてもらったのが、とある大手ホテルの

サービス紹介ブローシャ(小さいリーフレット)。

まず自分でひと通り書き、そのあと先輩に見てもらったのだが、

その時に入ったある直しの言葉に強烈な違和感を感じて

真っ向質問したことがあった。

 

その言葉とは、

「ご用意しています」

「ご利用になれます」。

 

以下、先輩にグイグイ迫った私の質問。 

 

「小さいお子さまのメニューも ’ご用意しています’ って変とちがいますか?

  'ございます'  '用意しています' ではなんであかんのですか?

(大阪の会社でした:)」

「'ご利用になれます’ も変な感じします〜。

 '利用' の中にもう ’何かする’ という行為が入ってるし 、

 'ご利用になれます’ やと意味かぶってる気するんですけど」

「それに、丁寧語で  'ご利用’ ってなんかすごい違和感あります。

 'お使いになれます' ではあかんのですか?」

 

途中のやりとりは忘れてしまったが、

チーム長でもあるコピーライターの先輩は上記をじっくり聞いてくれて、

最終的に

「こういう時に'ご用意しています'って書くのは普通なんや。

おまえの言うてる表現でも合ってるけど、このクライアントの刷り物では

こういう時はこう書くんや」。

そうおっしゃったと記憶している。

そしてその後数ヶ月で(これくらいはかかった気がする)、

私もこの言い回しにすっかり慣れてしまった。

 

「ご用意しています」「ご利用になれます」。

説明コピーの常套句には独特の言い回しがあると思う。

社会人経験がなくコピーなど書いたこともなかった私の語彙の中に、

この言葉はまだご用意されていなかったのだった。

注目をあびるようなキャッチコピーでもなく

心を打つようなボディコピーでもなく、

説明パンフレットの中の小さな部分のフレーズではあるが、

その時の自分にはそれがとても大きな疑問で、

納得しないと先に進めなかった。

 

今思うと先輩、困っただろうなあ…

その時の違和感は、もう微かにしか思い出すことができないけど、 

思い出してふと内省的になったエピソード。

 

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ひとの裏表〜落語「鼠穴」

 

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

以下、年末に書きかけていたものを年越しで完成。

・・・ 

 

先日、譲ってもらったチケットで落語会に行った。

落語は4〜5年前にそれも招待で一度みたことがあるだけで

演目にも演者にもまったく無知なのだが、その日、

橘家文蔵師匠の「鼠穴」に衝撃を受けたので、そのことついて。

 

古典落語「鼠穴」の筋立てはこうである。

 

酒と女で身上をつぶした竹次郎という男が兄の許へ無心に行く。

成功した商人である兄は元手をかしてくれるが、

帰路包みを見ると中身はたったの三文(ここで「兄は昔からケチで

村では鬼と言われていた」という語りが入る)。

腐る竹次郎だが腹を決め、三文を元手に身を粉にして働いてやっと

蔵付きの大店を浅草に構えるまでに成功。よい女房と娘も得た。

ある風の強い日、竹次郎は使用人に蔵の鼠穴を塞ぐことを言いつけ、

借りた金と礼金を持って久しぶりに兄を訪ねる。

喜んで迎えた兄は、留守宅の火事を気にして何度も暇を乞う竹次郎に

「もしお前の店が燃えたら自分のをやる」とまで言って酒を飲ませ、泊まらせる。

夜更け過ぎ、火事を告げる半鐘で目覚めた竹次郎は慌てて浅草へ戻るが、

店も蔵も全焼。一文無しとなった上に、女房も病に伏せてしまう。

再度借金を頼んだ兄には断られ、口約束も反故にされ、

吉原に入るという健気な娘を泣く泣く売って元手をつくるが、

直後にその金もすられてしまう。

もはや全てを失い絶望した竹次郎が首をくくった瞬間…

「おい、起きろ」。

目覚めた竹次郎はまだ兄の家にいた。

金を返しにきた日に酔って寝込んで夢を見ていたのだ。

 

下げは以下の通り。

「ありがてぇ、おらぁあんまり鼠穴を気にしたもんで…」

「なんの、夢は土蔵(=五臓)の疲れだ」

 

この演目に、なんという心理劇かと落語鑑賞初心者の自分は驚いた。

気になりポイントは次の3点。

*兄が善人か悪人かがわからない!

*弟が兄を実はどう思っているのかがわからない! 

*訛りが怖さを増幅させている!

 

1/兄が善人か悪人かがわからない!

(善人?)

・最初弟は兄の店に就職したいとやってくるのだが、兄は「自分で商売をした方が

 搾取されないし財を残せる」と言って雇わず元手を出す。

 それは賢察だったし愛があると言える。

・下げの「夢は土蔵(五臓)の疲れだ」はシンプルに弟の健康を気遣っている?

(悪人?)

・弟は酒で身上つぶしてるのに、報告にきた時に大量に酒をすすめている。

・最初に三文しか金を貸さなかったことについて、その後竹次郎の問いに

「大金を渡すと飲んでしまうと思ったからで、また来ればもっと貸してやろうと

 思っていた」と。が竹次郎の苦労を思うとその言葉はあまりに胡散臭い。

・地元の村では噂のけち、鬼と言われていた。

・最初に雇わず起業しろと言ったのは、三文包んで弟を追っ払ったとも言える。

 酒と女にだらしない竹次郎を「兄弟リスク」として家に入れなかったのでは…

 

2/弟が兄を実はどう思っているのかがわからない!

・あんな夢(兄に無下にされる)を見るということは、兄を信用していない証拠。

 できのいい兄に相当のコンプレックスがあるのではないか。

・あんな夢(娘を売る、自殺する)を見るということは、成功しているのに自分に

 自信がないせいか。こんな俺はどうせこうなる、とどこかで思っているのでは。

・でも頼るのは兄貴。地元でも嫌われていたと悪口を言いながらも再三訪ねる。

 

3/訛りが怖さを増幅させている!

古く濃厚な人間関係を彷彿させるような地方訛りで演じられていた。

その抑揚は素朴であたたかい反面、逃れられない因習やその裏に何重も

別の意味があるのでは、と感じさせられた。

横溝正史岩井志麻子のホラーにも通じるような…偏見かもしれないが。

 

4/妄想。「鼠穴」の意味

「鼠穴」とは文字通りネズミがかじって開けた穴のことで、

壁等に鼠穴があると、火事になった時その穴を煙突のように炎が突き抜けて

あっという間に燃え崩れてしまう。だから竹次郎は使用人に穴を塞いでおけと

指示するわけだ。これを無理やり解釈すると、兄弟でもお互いの心の中に

鼠穴のようなものがあると、ちょっとした火(事件、きっかけ)で

すぐその関係は燃えて無くなってしまうよ、という意味にも取れると思った。

こじつけすぎ?

 

もちろん、文蔵師匠の表情が鬼気迫るものであったことは言うまでもなく。

首くくるところなんてもう本当に…。

 

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こども広告教室

 

ここしばらく活動していた「業務外の楽しいこと」、のつづき。

先月末に手伝ったTCC主催「こども広告教室」のことを報告します。 

 

これは、授業の一環として小学生に広告コピーのことを知ってもらい、

実際に書いてもらうという試みで、今年でもう14回目。

例年出向くのは、千代田区立番町小学校6年生の教室。

1月に行われる文化祭「番町展」への一般客誘致、という課題をもとに、

実際に掲出する駅貼りポスターのキャッチコピーを作成します。

 

小学校に侵入(訪問…笑)できる機会は、年に一回この時くらい。

整然と並んだ靴箱、つやつやしたリノリウム張りの廊下、

貼りだされた習字や社会の宿題…空気が懐かしいだけじゃなくて、

掲出物をじっくり読むと…スルドイ!笑える!

小学生の書いたものってかなり面白いです。

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さて、子ども広告教室です。

TCCの企画運営チームから講師がたち、

広告って何か、キャッチコピーってどう作るのか、

などを数十分くらいでわかりやすく説明、

そのあと各クラス各班に分かれて作業開始。

各班に私たちがついて、ちょいちょい口をはさみつつ

(あまり誘導しないように…これがなかなか難しい)

みんなでコピーを一本に決め、全員の前でプレゼンしてもらいます。 

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一つの班はだいたい5人。

自分の場合はまず名前をきいて呼びかけるところからスタート。

その年により、またついた班によっては、まったくやる気がなかったり、

一人すねる子やまとまりをわざと壊そうとする子がいたり。

そんな時は内心焦って、あとで結構落ちこみます。

でも逆に、発表までかなりうまく行った時、

担当した班の子たちが授業終了後に

「ありがとうございました!」と挨拶にきてくれたことがあり、

とても感動してその日はそのあとずっとしあわせでした。

 

毎年、その年の子どもたちの「ノリ」みたいなものがあるのですが、

今年の6年生はのびのびしていて活気がありました。

騒いでいても「静かにしろ〜」という声が生徒の中から出てきて

静粛になるというか、無秩序ではないところが頼もしかったです。

うちの班は、女子Tちゃんとひとなつっこい男子のKくんが

ひっぱってくれて、なんとかなりました。

子どもがないせいか、大人としてのふるまいに

自分はいまひとつ自信がないんだろうな〜、なんて

毎年、にがく甘くふりかえっています。

  

この経験、案外仕事のコピーライティングにも役に立っていると思うんですが。

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(コンセプト「番町展にきてください」。各班の子どもたちのキャッチコピーです:)



 

A I を連呼した年〜広告ビッグデータ解析2018

 

おぉ!もう12月です。。

雑事にかまけて更新をサボっておりましたが、

その間いくつか楽しい業務外活動もしていました。

今回は、ビッグデータ解析による「今年の一本」をご紹介。 

去年も発表したTCC広報部の活動で、

以下の原稿を有志でまとめました。

 

prtimes.jp

 

「なんとA I の、広い、深い。」

 

上の記事を読んでもらえるとわかるのですが、

これは、今年一年いかに広告に「AI」と言う言葉が多用されたか、

その結果ということになります。

書き出しの副詞に「なんと」が選ばれていることからは、

「’A I ’ってやつには良くも悪くもびっくりさせられますな〜」

と社会がワイワイ言ってた感、が読み取れるかもしれません。

 

数年経ってこの一行をふり返ると、

A I に驚くとは、2018年は素朴だったな〜!

なんてことになるのでしょうか。

 

 

 

そのひとは自分を変えてくれるか。

 

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先日、TCC(東京コピーライターズクラブ)の勉強会で

アートディレクターの副田高行さんのお話をきく機会がありました。

 

副田さんは、広告が世の人の心を動かしてきた時代を

作ってこられた大先輩クリエイターの一人で、

最近のものだと「サントリーBOSS/宇宙人ジョーンズ」のシリーズや

TOYOTAハイブリッド/ReBORN」のシリーズ、

宮崎あおいさん出演の「Earth music&Ecology」や

吉永小百合さんの「シャープ/AQUOS」シリーズのデザインなど。

代表作を数え上げるときりがありません。

 

その日は主に最近減ってきた新聞広告についてのお話で

参加者の多くは若手のコピーライターでしたが、

もう長くこの仕事を続けている自分にもとても響く

(というかむしろベテランにより響くと思った)言葉の連続で

とても勇気が出ました。

 

中でも一番ハッとしたのは、

「初めて組むコピーライターとデザイナー(アートディレクター)は

出会いであり、互いに相手を新しくする」という言葉。

 

言うまでもないことですが、広告の仕事はどれも

コピーライターとアートディレクターの共同作業です。 

代理店、制作会社、デザインブティックと、

出自や育ちが違えば仕事の進め方も価値の置き方も全然違う二者が

組んで出し合うアイデアや表現や提案方法で、

時にはぶつかり、時には相手に驚かされながら

クライアントに向けて一丸となって力を出していく。

その過程がお互いを成長させるし、

そういう相手でないと組んでもうまくいかないよ、ということでした。

 

そう相手に思わせる作り手でいたいな、いなくちゃな。

まだまだまだまだだ、と苦しかったり

逆にちょっと違うんじゃ!?と相手に思ってしまう時もあるけど、

新しい人と組めるのはいつも楽しい。

フリーランスなので…出会いはほんとうに貴重だと思います。

相手に変えられたり影響を与えたりできる柔らかさと

強さを持ちながら(これがなかなか難しい…)、

一生懸命仕事をしたいと(かなり殊勝に)思いました!

 

(参考:副田さんが広告について語った短いインタビュー)

 http://shiga-motherlake.jp/interview/2103.html