サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

ひとの裏表〜落語「鼠穴」

 

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

以下、年末に書きかけていたものを年越しで完成。

・・・ 

 

先日、譲ってもらったチケットで落語会に行った。

落語は4〜5年前にそれも招待で一度みたことがあるだけで

演目にも演者にもまったく無知なのだが、その日、

橘家文蔵師匠の「鼠穴」に衝撃を受けたので、そのことついて。

 

古典落語「鼠穴」の筋立てはこうである。

 

酒と女で身上をつぶした竹次郎という男が兄の許へ無心に行く。

成功した商人である兄は元手をかしてくれるが、

帰路包みを見ると中身はたったの三文(ここで「兄は昔からケチで

村では鬼と言われていた」という語りが入る)。

腐る竹次郎だが腹を決め、三文を元手に身を粉にして働いてやっと

蔵付きの大店を浅草に構えるまでに成功。よい女房と娘も得た。

ある風の強い日、竹次郎は使用人に蔵の鼠穴を塞ぐことを言いつけ、

借りた金と礼金を持って久しぶりに兄を訪ねる。

喜んで迎えた兄は、留守宅の火事を気にして何度も暇を乞う竹次郎に

「もしお前の店が燃えたら自分のをやる」とまで言って酒を飲ませ、泊まらせる。

夜更け過ぎ、火事を告げる半鐘で目覚めた竹次郎は慌てて浅草へ戻るが、

店も蔵も全焼。一文無しとなった上に、女房も病に伏せてしまう。

再度借金を頼んだ兄には断られ、口約束も反故にされ、

吉原に入るという健気な娘を泣く泣く売って元手をつくるが、

直後にその金もすられてしまう。

もはや全てを失い絶望した竹次郎が首をくくった瞬間…

「おい、起きろ」。

目覚めた竹次郎はまだ兄の家にいた。

金を返しにきた日に酔って寝込んで夢を見ていたのだ。

 

下げは以下の通り。

「ありがてぇ、おらぁあんまり鼠穴を気にしたもんで…」

「なんの、夢は土蔵(=五臓)の疲れだ」

 

この演目に、なんという心理劇かと落語鑑賞初心者の自分は驚いた。

気になりポイントは次の3点。

*兄が善人か悪人かがわからない!

*弟が兄を実はどう思っているのかがわからない! 

*訛りが怖さを増幅させている!

 

1/兄が善人か悪人かがわからない!

(善人?)

・最初弟は兄の店に就職したいとやってくるのだが、兄は「自分で商売をした方が

 搾取されないし財を残せる」と言って雇わず元手を出す。

 それは賢察だったし愛があると言える。

・下げの「夢は土蔵(五臓)の疲れだ」はシンプルに弟の健康を気遣っている?

(悪人?)

・弟は酒で身上つぶしてるのに、報告にきた時に大量に酒をすすめている。

・最初に三文しか金を貸さなかったことについて、その後竹次郎の問いに

「大金を渡すと飲んでしまうと思ったからで、また来ればもっと貸してやろうと

 思っていた」と。が竹次郎の苦労を思うとその言葉はあまりに胡散臭い。

・地元の村では噂のけち、鬼と言われていた。

・最初に雇わず起業しろと言ったのは、三文包んで弟を追っ払ったとも言える。

 酒と女にだらしない竹次郎を「兄弟リスク」として家に入れなかったのでは…

 

2/弟が兄を実はどう思っているのかがわからない!

・あんな夢(兄に無下にされる)を見るということは、兄を信用していない証拠。

 できのいい兄に相当のコンプレックスがあるのではないか。

・あんな夢(娘を売る、自殺する)を見るということは、成功しているのに自分に

 自信がないせいか。こんな俺はどうせこうなる、とどこかで思っているのでは。

・でも頼るのは兄貴。地元でも嫌われていたと悪口を言いながらも再三訪ねる。

 

3/訛りが怖さを増幅させている!

古く濃厚な人間関係を彷彿させるような地方訛りで演じられていた。

その抑揚は素朴であたたかい反面、逃れられない因習やその裏に何重も

別の意味があるのでは、と感じさせられた。

横溝正史岩井志麻子のホラーにも通じるような…偏見かもしれないが。

 

4/妄想。「鼠穴」の意味

「鼠穴」とは文字通りネズミがかじって開けた穴のことで、

壁等に鼠穴があると、火事になった時その穴を煙突のように炎が突き抜けて

あっという間に燃え崩れてしまう。だから竹次郎は使用人に穴を塞いでおけと

指示するわけだ。これを無理やり解釈すると、兄弟でもお互いの心の中に

鼠穴のようなものがあると、ちょっとした火(事件、きっかけ)で

すぐその関係は燃えて無くなってしまうよ、という意味にも取れると思った。

こじつけすぎ?

 

もちろん、文蔵師匠の表情が鬼気迫るものであったことは言うまでもなく。

首くくるところなんてもう本当に…。

 

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こども広告教室

 

ここしばらく活動していた「業務外の楽しいこと」、のつづき。

先月末に手伝ったTCC主催「こども広告教室」のことを報告します。 

 

これは、授業の一環として小学生に広告コピーのことを知ってもらい、

実際に書いてもらうという試みで、今年でもう14回目。

例年出向くのは、千代田区立番町小学校6年生の教室。

1月に行われる文化祭「番町展」への一般客誘致、という課題をもとに、

実際に掲出する駅貼りポスターのキャッチコピーを作成します。

 

小学校に侵入(訪問…笑)できる機会は、年に一回この時くらい。

整然と並んだ靴箱、つやつやしたリノリウム張りの廊下、

貼りだされた習字や社会の宿題…空気が懐かしいだけじゃなくて、

掲出物をじっくり読むと…スルドイ!笑える!

小学生の書いたものってかなり面白いです。

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さて、子ども広告教室です。

TCCの企画運営チームから講師がたち、

広告って何か、キャッチコピーってどう作るのか、

などを数十分くらいでわかりやすく説明、

そのあと各クラス各班に分かれて作業開始。

各班に私たちがついて、ちょいちょい口をはさみつつ

(あまり誘導しないように…これがなかなか難しい)

みんなでコピーを一本に決め、全員の前でプレゼンしてもらいます。 

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一つの班はだいたい5人。

自分の場合はまず名前をきいて呼びかけるところからスタート。

その年により、またついた班によっては、まったくやる気がなかったり、

一人すねる子やまとまりをわざと壊そうとする子がいたり。

そんな時は内心焦って、あとで結構落ちこみます。

でも逆に、発表までかなりうまく行った時、

担当した班の子たちが授業終了後に

「ありがとうございました!」と挨拶にきてくれたことがあり、

とても感動してその日はそのあとずっとしあわせでした。

 

毎年、その年の子どもたちの「ノリ」みたいなものがあるのですが、

今年の6年生はのびのびしていて活気がありました。

騒いでいても「静かにしろ〜」という声が生徒の中から出てきて

静粛になるというか、無秩序ではないところが頼もしかったです。

うちの班は、女子Tちゃんとひとなつっこい男子のKくんが

ひっぱってくれて、なんとかなりました。

子どもがないせいか、大人としてのふるまいに

自分はいまひとつ自信がないんだろうな〜、なんて

毎年、にがく甘くふりかえっています。

  

この経験、案外仕事のコピーライティングにも役に立っていると思うんですが。

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(コンセプト「番町展にきてください」。各班の子どもたちのキャッチコピーです:)



 

A I を連呼した年〜広告ビッグデータ解析2018

 

おぉ!もう12月です。。

雑事にかまけて更新をサボっておりましたが、

その間いくつか楽しい業務外活動もしていました。

今回は、ビッグデータ解析による「今年の一本」をご紹介。 

去年も発表したTCC広報部の活動で、

以下の原稿を有志でまとめました。

 

prtimes.jp

 

「なんとA I の、広い、深い。」

 

上の記事を読んでもらえるとわかるのですが、

これは、今年一年いかに広告に「AI」と言う言葉が多用されたか、

その結果ということになります。

書き出しの副詞に「なんと」が選ばれていることからは、

「’A I ’ってやつには良くも悪くもびっくりさせられますな〜」

と社会がワイワイ言ってた感、が読み取れるかもしれません。

 

数年経ってこの一行をふり返ると、

A I に驚くとは、2018年は素朴だったな〜!

なんてことになるのでしょうか。

 

 

 

そのひとは自分を変えてくれるか。

 

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先日、TCC(東京コピーライターズクラブ)の勉強会で

アートディレクターの副田高行さんのお話をきく機会がありました。

 

副田さんは、広告が世の人の心を動かしてきた時代を

作ってこられた大先輩クリエイターの一人で、

最近のものだと「サントリーBOSS/宇宙人ジョーンズ」のシリーズや

TOYOTAハイブリッド/ReBORN」のシリーズ、

宮崎あおいさん出演の「Earth music&Ecology」や

吉永小百合さんの「シャープ/AQUOS」シリーズのデザインなど。

代表作を数え上げるときりがありません。

 

その日は主に最近減ってきた新聞広告についてのお話で

参加者の多くは若手のコピーライターでしたが、

もう長くこの仕事を続けている自分にもとても響く

(というかむしろベテランにより響くと思った)言葉の連続で

とても勇気が出ました。

 

中でも一番ハッとしたのは、

「初めて組むコピーライターとデザイナー(アートディレクター)は

出会いであり、互いに相手を新しくする」という言葉。

 

言うまでもないことですが、広告の仕事はどれも

コピーライターとアートディレクターの共同作業です。 

代理店、制作会社、デザインブティックと、

出自や育ちが違えば仕事の進め方も価値の置き方も全然違う二者が

組んで出し合うアイデアや表現や提案方法で、

時にはぶつかり、時には相手に驚かされながら

クライアントに向けて一丸となって力を出していく。

その過程がお互いを成長させるし、

そういう相手でないと組んでもうまくいかないよ、ということでした。

 

そう相手に思わせる作り手でいたいな、いなくちゃな。

まだまだまだまだだ、と苦しかったり

逆にちょっと違うんじゃ!?と相手に思ってしまう時もあるけど、

新しい人と組めるのはいつも楽しい。

フリーランスなので…出会いはほんとうに貴重だと思います。

相手に変えられたり影響を与えたりできる柔らかさと

強さを持ちながら(これがなかなか難しい…)、

一生懸命仕事をしたいと(かなり殊勝に)思いました!

 

(参考:副田さんが広告について語った短いインタビュー)

 http://shiga-motherlake.jp/interview/2103.html

  

911の思い出

 

今日は9月11日です。あれからもう17年か。

 

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2001年のあの日のその時間は、

久米さんの「ニュースステーション」を見ながら

実家の父と電話をしていた。

実家でもニュースステーションがついていて、

私たちは同時に

「あ」

といったのだ。

 

父はその年の5月に脳梗塞をやって、

9月にはもう退院していたが左半身に麻痺が残り、リハビリしていた。 

それまで絶縁に近いくらい仲のよくない親子だったが

倒れてからはできるだけ電話するようにしていた

(母にかけて代わったり代わらなかったり)。

 

テレビは「いまNYのWTCに飛行機が突っ込んだ模様です」

というのを緊急中継でやっていて、

まさにその番組中に2機目がビルに突っ込んだのだった。

それを、父も私も、兵庫東京と離れて受話器を耳に当てつつ

親子の会話よりテレビ画面の方を注視していて、

同時に目撃したのだった。

その時の会話で父が発した言葉は

「これはえらいことになってくるで」だった。

 

簡単に父の紹介をすると、彼は新卒から退職まで

在阪のTV局の社員で、2001年は退職して6年目。

退職時にあった関連会社への誘いを全て断った父に

当時私は「まだ働けるのにもったいない」と言ったりしたが、

若い頃は現場ディレクターだったのが

年をとって管理や関連会社に回ったりして、

もう勤めはいいやとなったのかもしれないと最近は思う。

旅行と絵描き三昧で悠々自適を目論んでまもなくの脳梗塞に、

今思えば2001年あたりはかなり腐っていたと思う。

 

父は一昨年他界したが、

世界はえらいことになってきたというわけだ。

世の中が変わりはじめる象徴的な夜だったな、と、

私はいつも、

受話器を持ったままTVを見て凍りついていた父と自分の姿とともに

911を思い出すのです。

 

(写真は2012年、再建中だったWTC) 

 

 

 

職人とビジネスマン

 

フリーになる前、

長く会社員クリエーターとして働いてきた。

 

広告代理店にいた頃は恥ずかしながら自分を

「表現にこだわる職人タイプ」じゃないかと思っていて(冷汗)、

企画ファーストの粘り腰で提案し続け、

営業やお客さんにも面倒がられたりたまには喜ばれたりしていた。

 

ところが近ごろ、個人で素晴らしい仕事をされている

アートディレクターや演出家の方とご一緒すると、

時に落ち込んだり反省させられたりする。

__自分の「バランス感覚」にげんなりするのだ。

 

いまは広告代理店をはさまないで(それがちょうどいい規模感で)

直接クライアントの新商品のロンチや

ブランディングを手伝う仕事が多く、

市場で一歩抜けることや新しい市場をつくることを使命に、

良い結果を目論んで戦略や企画表現を工夫する。

それらに

「高費用対効果」や「明快なわかりやすさ」が

求められることは当然だけど、

しばしばお客さんからは

「社内各部の意見を一致させて進みたい」

「上層部好みの案も追加してほしい」

「本国からきたCEOの功績にしたい」

等の人間くさい要望が現れて、

まだほわほわに柔らかい製作中の企画の前に立ちはだかる。

 

そんな時自分は、そのすべてには

「それは理屈が通らないです。却下で」とは言えない。

もちろん全部を受け入れるわけもない。

でも、依頼した監督やADの中には、

「それなら降ります」「これは質に関わる。できない」と

キッパリ言い切って清々しい方もいらっしゃる。

 

忖度や多数決や無理筋のスケジュール、

輪郭立ったクリエイティブには辛いこれらを

押したり引いたりなだめたりしながら実現へ運ぶ。

そのためにはブラフや根回しや

「まぁまぁ」といった美しくない態度さえ…!?

それは組んでいる彼らに良い仕事をしてもらうためでもあるけど、

やり方はブザマな搦め手だ。

そんな自分に憮然として落ち込むのだ。

 

思えば会社員の時はこの「そこをなんとか」を

他部署がやってくれていたのだし、

表現より前に「仕事をこしらえること」「依頼されること」の

大変さを今はとてもわかる。

費用はクライアントから出ているのだし。

だけどそうやって自分にきた仕事だからこそ

120%の力でクリエイティヴするべきで、

そこがジレンマとなる。

 

他の独立系CDはどうマインドを強化されているのかな。

今度きいてみたいと思う。

(しかしこのポスト、自分ブランディング的には全くマイナスですよね…)

 

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夏休みの終わり〜映画「フロリダ・プロジェクト」から

 

ふと。

子供の時って「いつまでも子供でいたいな〜」とは

思わないんじゃないかな。

その幸せをまだ他と比べたことがないから。

 

少し前に「フロリダ・プロジェクト」という映画を観た。

定収入がないためアパートを借りられず、

ディズニーワールド周辺のモーテルに暮らす若い母親ヘイリーと

6歳の娘ムーニーをめぐる人々のひと夏の物語。

ぷっくりと体温が高そうなムーニーは、

その体全部で毎日を謳歌している

(子役のブルックリン・K・プリンスがかわいい!うまい!)。

母親ヘイリーは偽香水売りでなんとか生計をたてているが

素行が悪く、周辺に迷惑をかけながら次第に追い詰められ、

やがて誇りにできない商売に手を染めてしまう。

 

おしゃまなムーニーの世界は、

同じモーテル暮らしの友達と笑い、走り、悪戯をする毎日で

子供らしくて影がなく、とても幸せそう。

青い空、ぼうぼうと茂る緑の濃い草。

カラフルな建物の入り組んだ中につくる秘密基地や

友達と交互になめるアイスクリーム。

そんなシーンに、子供時代の夏休みを思い出した。

ヘイリーはいわゆるヤンキーというかDQN的な人なのだが

そこに陰惨な育児放棄などはなく、

貧しいなりに娘にせいいっぱい愛情をかけて、

育てているというよりまるで戦友同士のように

二人で懸命に生きている。

19歳の母ヘイリーもまた大人になりきっていないのだ。 

 

映画は定石通り、楽しい日々は突然に終わる。

ちっちゃなムーニーはある時期の自分に別れを告げて

歩き出さないといけなくなる。

 

成長しなければならないことは、辛い。

 

少し前、虐待されて命を落とした女の子の事件があった。

そのことをここで論じるつもりはないけれど、

たった5つの女の子が文字を覚えて反省文を書いていたということが

いたたまれなくて深く同情した。 

子供の時は「いつまでも子供でいたいな」とは思わないだろう。

その時代の幸せをまだ他と比べたことがないからだ。

そんな年ごろなのに無理やり大人にならなければ

ならなかったんだとしたら、かわいそうすぎる。

 

何かを知ったりわかったりすることを、

若い時には「成長」という。

年齢が上がると「成熟」や「老化」「悟り」と言ったりもする。

知ったとたんに知らなかった時代は過去になり

無垢だった自分がどんどん遠くなっていく、寂しさ。

その気持ちは、なんだか夏休みの終わりに似ていると思った。

 

これからも何度も何度もくる、夏休みの終わり。

映画のムーニーも自分も、

その寂しさをこのあと何回も噛みしめて生きていくんだろうな。

 

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