サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

スタンプカードにまつわる気持ち

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渋谷からの帰り道に、

すごく好みのラテが飲めるスタンドがあって、時々買っている。

カードにスタンプをためるのも楽しみで、

毎度財布から出してはチマチマ捺してもらっている。

はて。たまると何いいことあるんだっけ? 

…そこからふと思い出した。

スタンプカードの原体験といえば、

夏休みのラジオ体操である。

 

一学期が終って翌日、夏休み初日から始まるラジオ体操。

朝6時前。

「やっと夏休みなのに〜!?」と大人なら全力でボヤくだるさを

子供ゴコロにもモヤっと秘めながら、

寝ぼけ眼で布団をめくられ頭からスポンと服を被せられて

顔にちょちょっと水をつけたらすぐドアの外。

前日、リボンを穴に通しておいたカードを下げて、

校庭や公園など指定の場所へ行く。 

 

道々、三々五々近所の子たちが合流してくる。

ほとんど眠りながらふらふら歩いてる子や、

よく吠える小さい犬を連れてる子や、

お父さんらしい人に抱えられてる子、

…学期が始まってすぐちょっと気になってるあの子もいる。。

幼稚園から一緒で仲良しだったお嬢さんぽい子は、

一度服を裏返しに着てきて、気づいてずいぶん恥ずかしがった。

 

寝ぼけ顔の昭和のチルドレンが、

会場に着く頃にはだんだん目が覚めて騒がしくなる。

ラジオ体操第二で深呼吸を終える頃には

ハンコの列に我先に向かわんとダッシュの姿勢に。

音楽が終わるとすぐ、大人が台を出しているところに

おしあいへしあいしながら並ぶ。

 

それで終わり。

何がうれしかったんだろうか。

皆勤しても何ももらえなかった気がするな。

毎日たまっていくハンコを見ること、

捺してもらえるとき大人に「はい!(がんばってるねニュアンスで)」

と言ってもらえること、

朝の空気がひんやりしてて気分がいいこと、

そんなのが楽しかったんだな。

ハンコはちゃんとマス目の中に

きれいに捺してほしいな、と毎日思っていた。  

 

いまコーヒー屋のカードを見てみたら、

3ポイントごとに50円おまけと書いてあった。

気づいてなかった〜

スタンプためるモチベーションに全く関係ない〜

でも、コーヒーはおいしい。

そして、ラジオ体操のことはいつでも思い出せる。

 

 

耳にきこえてくるもの

 

目が、見たいものだけをみているとしたら、

耳は、聞きたいことだけを聞いているのだろうか。

能動的にヒトの話を聴く、訊く、ではなく

意識せずとも聞こえてくるさまざまな「音」について。

 

雑踏を歩いていると、

ふとすれ違ったカップルや自分を追い越して行った人が

口にしている言葉が耳に入る。会話や通話中の声や。

「…だからそれは先週出したって…」

「w請求書ゼロ1個多く書いて出…」

「…それ回収してますから…」 

混んでる電車の中でも。

若いカップルの甘い会話はもちろん、年配女性の噂話や

出張(?)サラリーマンの大阪弁や。

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急に雨の音が大きくなって耳につく時がある。

夕方5時の音楽が鳴ってはっとする。

絶妙のタイミングでカラスが「アー、アー」と鳴いて笑ってしまう。

突然子供を叱りつける女性の声に動揺する。

こういう音はどれも、

ひとたび考え事を始めると全く聞こえなくなるのだが。

 

いつか観た、最果タヒという素敵な詩人の詩を映像にした

夜空はいつでも最高密度の青色だ」という映画は

ヒリヒリ切ないラブストーリーだったが、

音の鳴り方が本当にすばらしかった。

 雑踏の、群衆の、居酒屋の、道端の、深夜の。

登場人物の気持ちが聞こえる音を選んでいるんだろうな

(という演出意図だったのかな)、と感じた。

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映画でも演出でもないけれど、

日常で自分の耳がひろう音はきっと、

その時の気持ちがキャッチしているのだろう。

 

 

 

LUCKY

 

うれしい!

「今年の年賀状の文章よかったんでナレーション頼みます」ですって。

ほんとですよ。年賀状で仕事きたの初めてですよ!?

ありがたいことです。

というわけで、くだんの文章をこちらにも貼っておこうと思います。

(実はさっき日付操作して年頭に書いたテイで一度貼ったんですが、

やっぱり今日の正直日付でリポストすることにしました)

 

沢辺香’torch’2019新年のご挨拶。昨年よかった映画の話です:)

 

*******

 

男の名はLUCKY。毎朝5ポーズのヨガ。グラスに入れて

冷やしておくミルク。カウボーイハットに格子柄のシャツ。

散歩。91歳。「パリ・テキサス」はじめ名脇役として数々

活躍した俳優ハリー・ディーン・スタントン最後の映画が、

この一年ココロを照らしてくれていた。人生の最晩年を迎

え、初めて生について哲学する元兵士の爺。「上滑りした

会話より気まずい沈黙の方がいい」「孤独と一人は同じじ

ゃない」「俺がいなくなってもリクガメのルーズベルト

きっと生きてる 」「みんなには内緒にしといてほしいが

実は死ぬのは怖い」。誰の上にも時間は平等に流れている

ことや、青い空の下日常をつつがなくつづけられることの

ラッキーを、マリアッチの優しい響きとともに映画は教え

てくれた。91歳は自分には何十年も先だが、いつでもある、

は永遠には、ない。俳優という職業を生ききってスクリーン

の向こうに姿を消したスタントン爺の、こっちを見てニッと

笑ったラストは、乾いた希望に満ちていた。私をあたためて

くれた一本、「LUCKY」(ジョン•キャロル•リンチ監督作)。

自分もだれかやどこかを照らす一本の松明(torch)でありたい。

本年もどうぞよろしくおつきあいください。

 

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アンフェアな勝負「北風と太陽」

 

有名なイソップ童話「北風と太陽」ではこう言っていた。

無理強いしてもうまくいかないよ、と。

旅人のマントをどちらが先に脱がせるかという競争で、

強風でマントをぶっ飛ばしちゃえ!と目論む北風に

ニコニコ照らして旅人を暖めまくった太陽が勝つ。

教訓は「強制するより相手を自らその気にさせるべし」。

そりゃそうだ、と自分も深く頷いた。

 

この話をネタに

「企画をごり推しするよりお客さんへ共感を作りながら説得すべし」

「市場インサイトに敏感に販促を考えるべし」

なんて仕事に関連づけてオチつけようみたいな気はなく。

この童話に自分はもうひとつ別の教訓を感じたので、

それを書こうと思う。

 

北風はただの「風」ではなく「北風」なので、もともと冷たい。

北風のコマンドには

「冷たく吹く(冷たさ度合いはいろいろできる:)」か

「なるべく吹かさない(風なので「無風」はできないはず)」の

どちらかしかない。

でも太陽は

「ギラギラ照らす」「ほどよく照らす」「照らすだけ(明度あげるだけ)」

みたいな幅で温度を自由に上下させられるわけで、

どんどん照らして旅人を日射病で殺すこともできるし

ポカポカさせまくって眠気を誘い旅を続けられないようにしたり

ちょっとしか照らさず旅人を凍えさせたり

骨粗鬆症にしちゃったりもできる。怖い。

この二者じゃ勝負にならないよなあ…そう思った。

 

つまりこれは、元々「能力」「個性」に差がある二者の勝負で

「北風の負け」を通して教訓を語ろうという、

結果ありきのストーリーなんです(イソップだから当たり前か)。

いや、世の中はこの話のように実力差や向き不向きがある中で

競わねばならない場面の方が多いのだし

この話にフェアを求めてもしかたないけど、

よく知られている方の教訓「強制せず対象自らをその気にさせるべし」

だけではなくて、

「能力差のある相手と不利な勝負をする場合、いつもの技だけでは勝てない」

という教えもあるなと。

 

ちなみに、翻訳童話などには「風と太陽」という版もあるみたいですが、

イソップの原題は「北風と太陽」のようです。

(安易なソースで恐縮ですが英語版wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/The_North_Wind_and_the_Sun

 

北風が「そよ風」だったら、結果はまたちがったかもしれないなあ。

 

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ハッとしてプチ反省

 

いつのまにか

映画やドラマでの「お約束的展開」に慣らされちゃってるな〜

と気づいた、先日のプチ反省。

 

・・・

ある映画で、失踪していた男が久しぶりに女のもとに戻り、

雇われたカフェのカウンターに初めて立つシーン。

「あんたコ−ヒーなんか淹れられるの?」と問う女に

「うん。さっき教わった…」と言って男が厨房に消えてしばらく、

奥からゴボゴボゴボ…と由々しき音がして、女が心配顔になる。

 

ここで当然(というか無意識に)私は、

「ごめん、失敗しちゃった〜」と男が出てくるか、

女がひどくまずいコーヒーを前にしているシーンに続くと思っていた。

 

ところが映画は、しばらくの間の後

カウンターでうまそうにコーヒーをすする女の姿になった。

「うん。おいしい」と。

 

・・・

それだけのことなのだが、

軽く意表をつかれたことが心に残り、

監督はなぜそうしたのか、と考えるきっかけになった。

そして、自分はなぜそう決めつけていたのかと。

 

 

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上記のシーンが含まれています。

地味だけど(スミマセン)しっかり人間味のあった映画

「ひかりの歌」杉田協士監督/渋谷ユーロスペース他 

 

 

ご用意されていなかった言葉

 

「コトバ」山本高史さんの修行時代のコラムを読んで、

自分もコピーライターになりたてだった頃のことを思い出した。

 

学校を出て制作プロダクションに就職して1年目。

先輩の指導の下書かせてもらったのが、とある大手ホテルの

サービス紹介ブローシャ(小さいリーフレット)。

まず自分でひと通り書き、そのあと先輩に見てもらったのだが、

その時に入ったある直しの言葉に強烈な違和感を感じて

真っ向質問したことがあった。

 

その言葉とは、

「ご用意しています」

「ご利用になれます」。

 

以下、先輩にグイグイ迫った私の質問。 

 

「小さいお子さまのメニューも ’ご用意しています’ って変とちがいますか?

  'ございます'  '用意しています' ではなんであかんのですか?

(大阪の会社でした:)」

「'ご利用になれます’ も変な感じします〜。

 '利用' の中にもう ’何かする’ という行為が入ってるし 、

 'ご利用になれます’ やと意味かぶってる気するんですけど」

「それに、丁寧語で  'ご利用’ ってなんかすごい違和感あります。

 'お使いになれます' ではあかんのですか?」

 

途中のやりとりは忘れてしまったが、

チーム長でもあるコピーライターの先輩は上記をじっくり聞いてくれて、

最終的に

「こういう時に'ご用意しています'って書くのは普通なんや。

おまえの言うてる表現でも合ってるけど、このクライアントの刷り物では

こういう時はこう書くんや」。

そうおっしゃったと記憶している。

そしてその後数ヶ月で(これくらいはかかった気がする)、

私もこの言い回しにすっかり慣れてしまった。

 

「ご用意しています」「ご利用になれます」。

説明コピーの常套句には独特の言い回しがあると思う。

社会人経験がなくコピーなど書いたこともなかった私の語彙の中に、

この言葉はまだご用意されていなかったのだった。

注目をあびるようなキャッチコピーでもなく

心を打つようなボディコピーでもなく、

説明パンフレットの中の小さな部分のフレーズではあるが、

その時の自分にはそれがとても大きな疑問で、

納得しないと先に進めなかった。

 

今思うと先輩、困っただろうなあ…

その時の違和感は、もう微かにしか思い出すことができないけど、 

思い出してふと内省的になったエピソード。

 

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ひとの裏表〜落語「鼠穴」

 

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

以下、年末に書きかけていたものを年越しで完成。

・・・ 

 

先日、譲ってもらったチケットで落語会に行った。

落語は4〜5年前にそれも招待で一度みたことがあるだけで

演目にも演者にもまったく無知なのだが、その日、

橘家文蔵師匠の「鼠穴」に衝撃を受けたので、そのことついて。

 

古典落語「鼠穴」の筋立てはこうである。

 

酒と女で身上をつぶした竹次郎という男が兄の許へ無心に行く。

成功した商人である兄は元手をかしてくれるが、

帰路包みを見ると中身はたったの三文(ここで「兄は昔からケチで

村では鬼と言われていた」という語りが入る)。

腐る竹次郎だが腹を決め、三文を元手に身を粉にして働いてやっと

蔵付きの大店を浅草に構えるまでに成功。よい女房と娘も得た。

ある風の強い日、竹次郎は使用人に蔵の鼠穴を塞ぐことを言いつけ、

借りた金と礼金を持って久しぶりに兄を訪ねる。

喜んで迎えた兄は、留守宅の火事を気にして何度も暇を乞う竹次郎に

「もしお前の店が燃えたら自分のをやる」とまで言って酒を飲ませ、泊まらせる。

夜更け過ぎ、火事を告げる半鐘で目覚めた竹次郎は慌てて浅草へ戻るが、

店も蔵も全焼。一文無しとなった上に、女房も病に伏せてしまう。

再度借金を頼んだ兄には断られ、口約束も反故にされ、

吉原に入るという健気な娘を泣く泣く売って元手をつくるが、

直後にその金もすられてしまう。

もはや全てを失い絶望した竹次郎が首をくくった瞬間…

「おい、起きろ」。

目覚めた竹次郎はまだ兄の家にいた。

金を返しにきた日に酔って寝込んで夢を見ていたのだ。

 

下げは以下の通り。

「ありがてぇ、おらぁあんまり鼠穴を気にしたもんで…」

「なんの、夢は土蔵(=五臓)の疲れだ」

 

この演目に、なんという心理劇かと落語鑑賞初心者の自分は驚いた。

気になりポイントは次の3点。

*兄が善人か悪人かがわからない!

*弟が兄を実はどう思っているのかがわからない! 

*訛りが怖さを増幅させている!

 

1/兄が善人か悪人かがわからない!

(善人?)

・最初弟は兄の店に就職したいとやってくるのだが、兄は「自分で商売をした方が

 搾取されないし財を残せる」と言って雇わず元手を出す。

 それは賢察だったし愛があると言える。

・下げの「夢は土蔵(五臓)の疲れだ」はシンプルに弟の健康を気遣っている?

(悪人?)

・弟は酒で身上つぶしてるのに、報告にきた時に大量に酒をすすめている。

・最初に三文しか金を貸さなかったことについて、その後竹次郎の問いに

「大金を渡すと飲んでしまうと思ったからで、また来ればもっと貸してやろうと

 思っていた」と。が竹次郎の苦労を思うとその言葉はあまりに胡散臭い。

・地元の村では噂のけち、鬼と言われていた。

・最初に雇わず起業しろと言ったのは、三文包んで弟を追っ払ったとも言える。

 酒と女にだらしない竹次郎を「兄弟リスク」として家に入れなかったのでは…

 

2/弟が兄を実はどう思っているのかがわからない!

・あんな夢(兄に無下にされる)を見るということは、兄を信用していない証拠。

 できのいい兄に相当のコンプレックスがあるのではないか。

・あんな夢(娘を売る、自殺する)を見るということは、成功しているのに自分に

 自信がないせいか。こんな俺はどうせこうなる、とどこかで思っているのでは。

・でも頼るのは兄貴。地元でも嫌われていたと悪口を言いながらも再三訪ねる。

 

3/訛りが怖さを増幅させている!

古く濃厚な人間関係を彷彿させるような地方訛りで演じられていた。

その抑揚は素朴であたたかい反面、逃れられない因習やその裏に何重も

別の意味があるのでは、と感じさせられた。

横溝正史岩井志麻子のホラーにも通じるような…偏見かもしれないが。

 

4/妄想。「鼠穴」の意味

「鼠穴」とは文字通りネズミがかじって開けた穴のことで、

壁等に鼠穴があると、火事になった時その穴を煙突のように炎が突き抜けて

あっという間に燃え崩れてしまう。だから竹次郎は使用人に穴を塞いでおけと

指示するわけだ。これを無理やり解釈すると、兄弟でもお互いの心の中に

鼠穴のようなものがあると、ちょっとした火(事件、きっかけ)で

すぐその関係は燃えて無くなってしまうよ、という意味にも取れると思った。

こじつけすぎ?

 

もちろん、文蔵師匠の表情が鬼気迫るものであったことは言うまでもなく。

首くくるところなんてもう本当に…。

 

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