サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

この映画は人がたくさん死にますか?

 

映画館にちょいちょい出没していると、

仕事では出会わない年齢や雰囲気の人々に遭遇します。

だいたい打合せの合間に割引価格で観られる日を狙って出かけるので、

平日の昼間が多いのですが、

この時間帯は、ひとりで来ている年配女性が多いです。

 

自分もたくさん観るようになって気づいたのですが、

映画館には「あれを観たい」と思って行くだけでなく

「今日○時頃観られる映画には何があるかな」と思って

出かけるのも楽しいものです。

時間の自由になる年齢の人たちは、

一日中映画館を巡りながらいくつも観てまわろう、

そんな構えでこられている方も多い様子。

 

先日、渋谷のある映画館でこんな光景を目にしました。

70歳くらいの上品な女性で、彼女は、

次回上映のポスターを入り口に立てかけていた係の人に、

こんなことを聞いていました。

 

「この映画は、たくさん人が死にますか?」

 

案内の若い男性は、言葉につまって、、

 「いや、あのボク詳しいことはわからないんですけど、

きっと面白いと思いますよ」

と答えていました。

ちなみにその映画はたった今私が別の階で観てきたやつで、

めっちゃたくさん人が死ぬやつでした。

 

「あの、もしもし。

この映画はとてもたくさん人が死にます。

でもグロテスクさを追求したものではなく乾いたタッチなんです。

とても面白かったですよ。」

 

などと言いたいな、と思ったのですが、

件の案内係の彼が

「人が死ぬ映画だとちょっとお好きではないですか?」

と優しく返していて、その後会話が弾んでいったみたいなので、

私はそっとその場を去りました。

 

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(これでした)

 

 

より揺さぶられた人が主役

 

連ドラも映画も、

いわゆる「人間ドラマ」が好きでよく見ています。

 

で、先週突然、感動するドラマってこんなんでは!? 

と気づいた気がしたのでメモ。

 

通常よくあるのは、

主人公がストーリーを進行させるパターン。

本人がさまざまな困難や喜びに出あって成長していくというもの。

でもそういう展開だと、

役者がどれだけ上手くても主役に共感できなければ

楽しめない気がするし、何より世の中って

一人の人物にだけいろいろな事件が集中するわけではない。

というわけで思ったこと。 

 

主人公は「話を進める」のではなくて

「話に巻き込まれる」のがいいのでは。

 

いいセリフを彼(彼女)が言わなくてもいいし、

辛い目やいい目や波乱万丈を味わうのは

彼(彼女)じゃなくてもよくて、

いろんな事件に翻弄される友人や家族や同僚などの脇役や、

様々に波だつ世間を見て、主人公がいろんなことを思う。

影響されて泣いたり笑ったりする。

それを、我々が見る!

…という図式になっているドラマこそが

面白いのではないか。

 

そう、揺さぶられたもん勝ちや! 

と、思ったのでした。

 

それはドラマだけでもない気がし、

たくさんの翻弄される人々を見て一緒に思い悩んだりできた人が、

面白く生きているような気がします。 

 

その時ふたりは花束だった。 2021年1月ベスト「花束みたいな恋をした」

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あれっこれうち?

ゲームや映画や音楽や本などやや狭めの趣味が

シンクロして恋に落ちる…

昔の自分たちのような、よくいる恋人たちの話。

さまざまなシーンに身に覚えがあって甘酸っぱかった。

 

行くはずだった同じライブ、減りかけのジャックパーセル、

次に進めないまま迎える終電、終電逃してひたすら歩く、

三日ベッドから出ない…キュンの連打は言うまでもなく。

趣味や好みがあまりにシンクロする人と出会うと

「この人しかいない!」と有頂天になるのだが、

実は人間は、趣味嗜好だけでできているわけではない。

東京育ちの自宅っ子次女で、両親がマスコミ勤務の絹(有村架純)と

家業を営む父ひとりを故郷に残してきた長男、麦(菅田将暉)。

書き連ねるだけでもこんなに真逆の育ち方をした二人は、

どんなに趣味が似ていても、成長するにつれ

やがて違う色の花を咲かせるようになる。

絹を愛するあまり夢を封印して就職し、

型にはまっていく(ちなみにその時期そうなってるだけで

一生はまったままとは限らないけれど)麦が痛々しかった。

 

絹と麦の性格や人生観の違いや、

リトマス試験紙のように描かれる周囲の人間関係など、

坂本裕二脚本は細やかで今回もさすが。

超大切な映画(牯嶺街少年殺人事件!)や仕事への反応など

「ちがい」を浮き立たせるシーンの数々。

初めてのキスの後の絹のセリフ

「ちなみに私はこういうふれあいは頻繁にしたい方です」にも感心した。

へぇこれを先に言っとくのか~大事だね賢明だなと。

彼女の奔放さ、意志の強さは最初から示されていたなと思った。

 

「花束みたいな恋」のココロは、最初は

「いつか必ず萎れる」という意味かと思ったが、

全く異なる種・生育の花が組まれて美しいのが花束。

そういう意味もあるのかもと想像した。

 

しかし恋がひとつ萎れても人間はそう簡単には枯れないわけで…

まだ「途中の二人」は別の道を行く。

そして、長く添うことになる相手とは

「どんな時期の自分として出会うか」が大きいのだよな、とひとり納得。 

 

…年寄りの感想ですかね。。

 

「花束みたいな恋をした」 監督/土井裕泰 脚本/坂元裕二

 

・・・・・

1月は14本鑑賞。

1986年公開のニューマスター版でルトガーハウアー出演の

ヒッチャー」と迷いましたが、

今年公開作品ということで「花束みたいな〜」に。

ヒッチャーもかっこよくて最高でした。

 

2021 年1月 鑑賞順

*新感染半島 ファイナルステージ

*Swallowスワロウ

アクエリアス

*ニューヨーク親切なロシア料理店

*許された子供たち

*聖なる犯罪者

*本気のしるし

ヒッチャー ニューマスター版

鬼滅の刃 無限列車編

*オアシス リマスター版

*43年目のアイ・ラヴ・ユー

*羅小黒戦記(字幕版)

*花束みたいな恋をした

*天国にちがいない

 

 

なぜか映画が止まらない

 

映画をそこそこ観ています。

2020年は152本。

配信&リバイバル上映込みですが、

だいたいひと月12~3本の計算です。

 

こんなに見始めたのは、3年前くらいから。

5年前にフリーランスになってから、打合せが例えば

11時から京橋、16時から広尾、という具合に入ってしまった時。

中途半端に空いた時間を事務所(自宅です)に戻るのも非効率だし

かといってずっとカフェにもいられないし。

ってことで「座って休めて」「冷暖房完備で」

「わりとどこの町にもあって」「楽しく時間がつぶせる」場所、

映画館に行くようになりました。

 

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行き始めると予告編はあるしチラシももらってくるしで

次々に観たい作品に遭遇してしまい、

もともと好奇心で体を壊すようなタイプなので

輪っかに乗って回り続けるハムスターのごと、

ラッキョを剥き続けるチンパンジーのごと、

鑑賞が止まらなくなってしまいました。

 

もともと嫌いではなかったものの、それまでは

「今年もう100本観ちゃった」みたいな人に会うと

「すごいですね〜」とか言いつつ

(よく時間あるな〜内容覚えてるの?)など失礼なことを思って

とても真似できませんな〜と遠巻きにしていた口だったので、

自分がそっち側の人になるとは全く思っていませんでした。

 

これは人によると思うけど、

私の場合は映画マニアでもなんでもなく、

予告とチラシに刺激された「好奇心」と

仕事でくらったダメージからの「逃避」と

日常を忘れさせてくれる刺激への「依存」で

本数がかさんでいるだけなのです。

なので、「よく観てるね〜」と、以前の私のように

驚く人がいるとひたすら恥ずかしくて

(きっと節操のない好奇心や逃避にネガな感情があるせい)

いえいえいえ…と後ろに下がってしまう。

 

なんか心のどこかで、

コンテンツ消費ばっかりしていて申し訳ない、

という気持ちがあるのですね。

食いしん坊でスミマセン、とか

買い物依存で恥ずかしいです、にも近いのかも。

 

とはいえ、実は観た映画は全部、

インスタグラムに記録しています!

感想もちょこちょこ書いているし、、せっかくなので

ネタに詰まっているこちらのブログにも月一回、

その月のベスト1本を貼ってみることにしました。

依存と逃避行動からの還元!?

 

まずは2021年の1月のベストから。

次の記事にて:)

 

 

 

明るすぎて見えない

 

今年のしし座流星群は、

ここ一週間くらいが最も見ごろだそうな。

夜23時前後にはじまるとニュースできいて、

遅い夕食後、できるだけ暗い場所を探して家を出る。

 

我が家は東京23区。

道には等間隔の街灯、公園も暗闇が生じない程度には照らされている。

安全なのはいいけど、星を眺めるときは人工の光が邪魔をする。

空を見上げたとき視界に光が入らない場所って

なかなかないんだな〜。

 

やがて、少し広い公園に、

木陰に入ればうまく灯りを遮れる場所をみつけた。

そこだってちょっとでも顔を動かすと

なんらかの明かりが目に入っちゃうけど、

まあよしとしよう。

こんもりした欅の木の脇に立ち、

広めに開いた葉の隙間からおもむろに夜空を見上げる。

 

「20分程度は眺めましょう」。

テレビではそう言っていた。

 

20分か…

長い…。

 

星はちっとも流れない。首も凝ってきた。

木のすぐ脇にあるゆるい階段に腰をおろして、

後ろに手をついて空を見上げる。

そのうち、頭の中を関係のない考えがぐるぐる回る。

 

(明るすぎて見えないのは星だけじゃないな。

人間世界でも、派手な見た目やアピール力のある人の後ろに

つい隠れちゃう地味な人っているよね。

んでその人が渋い輝き持ってたりって、むしろほとんどそっちだよね)

 

(明るい、は眩しい、につながって、

「目くらまし」方向もあるんじゃないか?

キラキラッ!感じヨスギ!には眩まされないように

気をつけなくちゃな…こないだも…ブツブツ)

 

(つまり明るいことがいい、ってわけでもないんだよ多分。

何でもクリアに見える、わかる、ことばっかり

ここんところ尊重されすぎじゃない?)

 

(にしても最近メガネが合ってないのかな?

経費で作るなら年内に検眼行っとこ)

 

…いつしか思考は星から彼方へ。

 

「寒っ!帰ろ」。

ちょっと離れたところにいた夫の声で我に返る。

流れ星は3つほど目撃したそうだ。

私には見えなかったよ。

世界は最近、明るすぎるのだよ!

 

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(写真は別日のもの)

 

 

そういうの好き、じゃなくてこれが好き。

 

人と距離をつめる方法のひとつに

「共通点を見つける」というのがある。

好意を持った相手が「いい」と言っているものに

「自分もいいと思う」と共感をしめす。

映画でも音楽でも小説でもサッカーチームでも。

ただ、親しくなりたいあまりそんなに共感していない事柄について

相手に合わせたことは…

もちろんある。

 

昔、つきあっていた人があるイラストを

好きだと言って見せてくれた。

誰が描いたもので絵が何だったかも忘れてしまったが、

これのどこがすごいかどこに惹かれるかを

その人は熱っぽく説明してくれた。

その時私はその絵にそう強烈な印象は受けず、

正直ふうん、という感じだった。

 

当時その人とはいろんな事情であまり会えてなくて、

私はちょっと不安だった。

だから絵を見せられた時、精一杯の気持ちでこう言ったのだ。

「こういう絵、すごく好き」。

すると彼は哀れむように私を見て言った。

「こういう絵、じゃなくて「この絵」が好きやねん」

 

その頃よく聴いていた

ストーンズの「Tatoo You」というアルバムに、

「Waiting on My Friend」という曲がある。

終盤の歌詞はこうだ。

♪ But I'm not waiting on a lady / でも俺は女を待っているんじゃないんだ

I'm just waiting on my friend / 俺はただ友を待っているんだ 

 

「こういう絵、じゃなくて「この絵」が好き」。

と言ったときのその人の視線を今でも思い出せる。

その瞬間私は、終わってたと悟った。

 

「Waiting on My Friend」は ”俺は女ではなく友を待っている” と歌っていて、

それは「互いを認め合える存在を待っている」という意味に取れ

(それが女でもいいじゃん、と今は思うけど)、

待たれてない自分を感じて辛かった。 

と同時に、心酔する芯のようなものを持っている

人間でありたいと、ほろ苦く刻んだ。

 

その後も仕事や社交の場で「そういう感じ、いいと思います!」と

当たり障りのない発言をしたことは何度かあって、

その度に「今「ふり」をしたな〜」と自己嫌悪に陥る。

そんな空気を読むような態度が正解かどうかは

そのうち結果が出てくるのだろうけど、

少なくとも「自己嫌悪正常!」と思い続けてはいきたいと思う。

 

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(※歌詞が、英語的に正しい waiting 'for' my friend ではなく

     wainting 'on' my friend なのは、当時移民に見られた表現を

    M.ジャガーが親しみの気持ちから使ったのだそうです) 

 

続けてもいいから嘘は歌わないで

 

ちょっと前のことだけど、

フジロックのとあるステージで心に残った言葉。

 

やっとフジの舞台に立てたよ!と叫んだ

初出演のバンドのボーカルが、ひとしきりMC。

結婚して子供ができて、嫁さんも仕事やめなきゃならなくなったのに

なかなか芽がでなくて、

このままバンドを続けていていいのかなと悩んでいた時に

嫁にこう言われたと。

「続けてもいいから嘘は歌わないで」。

 

そうだなーと思った。

もっというと、自分を表現する仕事に就いているなら、

思いと違うことを無理して歌わされずに続けられれば

多少貧乏でも幸せなんじゃないかって。

そりゃあ食べていかなければならないし、

子供がいれば育てなければいけないし、

キレイゴトばかり言ってはいられないと思うけど。

 

そんなことで、ふと胸を突かれたよという話。

単純?馬鹿?青い?

でもでもこの気持ちは仕事をする上での

芯になるのではないかと自戒した。

 

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