サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

目撃者ゼロの日のアリバイ

 

前々回書いた(あっもうひと月以上も前w)

映画館のご婦人もですが、

この映画は人がたくさん死にますか? - サバ缶とボッコちゃん

お年を召した方がよく(若い人よりも)街で

人に話しかけているところを見ます

これはなぜだろうかと思いました。

想像。

彼らは痕跡を残しているのではないか。

 

もしかしたら一人暮らしの方が多いのかもしれません。

朝から誰とも話さず過ぎて、もう夕方。

家事をして趣味の何かをして眠りについて、また朝。

明日も昨日と同じ一日かもしれず、気づけば

今日確かに私がここで生きていたことを

誰も知らない。

「私の目撃者、本日もゼロ」

そんな日が続いているのかもしれない。

 

基本一人で仕事をしている自分にも、

たまに一日中誰とも話さない日があります。

特に今はコロナ禍で、案件によっては

リモート打ち合わせさえなくメールで全て終了したりして。

いやふと我に返ると、不安になったりもします。

 

年配の方(女性が圧倒的に多いと思う)がなにくれとなく

人に話しかけるのはきっと、

存在証明(アリバイ作り)のようなもの。

無意識に世間を引っ掻いているのではないか。

ここにいた私を目撃してね、覚えておいてね、と。

 

もちろん、随分失礼な想像かもしれませんが、

そんな風に思った次第です。 

 

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気持ちがひやりとした日のこと

 

いくらか前のことなので、そろそろ書いてもよかろうな。

 

その頃しばらく感情的にあまりうまくいっていなかったスタッフと、

ある日、お客さんに同行した帰りに少し打合せすることになった。

お客さんからの最寄駅は、

歩いてすぐだけど乗換えが少し複雑になる線の駅と

だいぶ歩くけど乗換えは一回ですむ線の駅の2つがあり、

ランチやお茶の時はいつもどちらかの駅近の店に入っていたので、

その日もどっちにしようかという話になった。

その人も「どちらでも」ということだったので、

とりあえずすぐ入れる店で昼食をとった。

 

探り合うような雰囲気でしばらく当たり障りのない話をしてから

避けられない本題に入り、言い争いにはならなかったものの

気持ちの共有は進まないまま、その時間は終わった。

会計を済ませて店を出て、これまではほとんど一緒に使っていた

乗り換えがシンプルな方の駅に向かおうとしたら

その人は、

「今日はこのあとこちらに用事があるので」と言って

もう一つの路線の方に去って行った。

 

別れてしばらく独りで歩いているうちに、ふと気づいた。

 

食事前その人は確か「どちら(の駅)でも〜」と言っていたのだ。

別れて歩く方を選んだということは、

これ以上こちらと一緒にいるのが嫌でそう言ったのだろうと思った。

嘘というほどのことでもない。

正直、別れ際にホッとしている自分もいた。

けれど、それは薄く冷たい金属のようなものが心にさしこまれたように

ひんやりする瞬間だった。

 

先方もそう感じているだろうか。

 

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メルマガ、蚊柱のごとく

 

4月1日です。

話題に取りとめがなさすぎますが、

あまり考えると更新しなくなってしまうので

気にしないで書くことにします。

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先日とあるマーケティングのウェビナーに参加したら、

それ以降大量の案内メールやメルマガが届くようになりました。

 

主催の情報サービス会社は一つだったのですが、

どうやらそこから協力企業に個人データが提供された様子。

プライバシーポリシーには個人情報は提供先を前もって知らせる、

とあったのですが、はて。

それをしてもらった記憶がありません。

 

私の仕事は、新規または生まれ変わるブランドの

哲学を構築したり、魅力的な露出方法と表現を開発すること。

その際、目下&近未来の市場や世相くらいは把握しておきたい。

そのデータだけを頼りに企画することはまずありませんが、

基本ひとりで行っているので、

総合代理店のマーケやストラテジー部署のかわりに

外部スタッフとの連携や資料収集などで勉強を続けています。

これまでもいくつかウェビナーには参加していたのですが

ここまで大量に売り込みメールが来ることは初めてでした。

 

先の個人情報の扱いについては、

細かい約款を自分が見落としたのかも、ととりあえず抗議はせず、

大元の会社から情報を引き上げたことはもちろん、

脇が甘かったんだよとブツブツ言いながら

各メルマガを地道に「配信解除」し続けています。

中にはメルマガではなく担当者からの直メールで

解除できないし返信もする気になれない物もたくさんあり、

ちょっと困っています。

 

着信の中には名前を知っている会社もあったのですが、

この度のメルマガ攻勢で 思うのは、

一度うんざりしてしまうと

「ここには二度と近寄りたくない」と思ってしまうこと。

いくら「耳寄りな情報ありますよ!」と言われても、

これってめちゃくちゃイメージダウンです。。

 

情報取得と提供を商売にするのは

今や常識なのかもしれませんが、ワタボコリを

(よくよく探せば金の粒が紛れてるかもしれないけど)

右から左に移しているようにしか私には見えず、

その会社のスタンスが見えすぎて

(’ワタボコリ客などどうでもいい’ という〜

 経済原則的にはこの判断は正しいのかもだけど)、

ブランディングとしては

下の下であるなと思った次第。

まあ、そのような会社から私のところへは

ブランディングの依頼などこないでしょうが。

 

そうそう、

この鬱陶しさ何かに似てるな〜と思ったら。

暖かくなって近所の桜並木を散歩していたらもう

「蚊柱」が立っていました。

コレです。

うわっ、と手をパタパタして振り払ったのは

言うまでもありません:)

 

 

 

この映画は人がたくさん死にますか?

 

映画館にちょいちょい出没していると、

仕事では出会わない年齢や雰囲気の人々に遭遇します。

だいたい打合せの合間に割引価格で観られる日を狙って出かけるので、

平日の昼間が多いのですが、

この時間帯は、ひとりで来ている年配女性が多いです。

 

自分もたくさん観るようになって気づいたのですが、

映画館には「あれを観たい」と思って行くだけでなく

「今日○時頃観られる映画には何があるかな」と思って

出かけるのも楽しいものです。

時間の自由になる年齢の人たちは、

一日中映画館を巡りながらいくつも観てまわろう、

そんな構えでこられている方も多い様子。

 

先日、渋谷のある映画館でこんな光景を目にしました。

70歳くらいの上品な女性で、彼女は、

次回上映のポスターを入り口に立てかけていた係の人に、

こんなことを聞いていました。

 

「この映画は、たくさん人が死にますか?」

 

案内の若い男性は、言葉につまって、、

 「いや、あのボク詳しいことはわからないんですけど、

きっと面白いと思いますよ」

と答えていました。

ちなみにその映画はたった今私が別の階で観てきたやつで、

めっちゃたくさん人が死ぬやつでした。

 

「あの、もしもし。

この映画はとてもたくさん人が死にます。

でもグロテスクさを追求したものではなく乾いたタッチなんです。

とても面白かったですよ。」

 

などと言いたいな、と思ったのですが、

件の案内係の彼が

「人が死ぬ映画だとちょっとお好きではないですか?」

と優しく返していて、その後会話が弾んでいったみたいなので、

私はそっとその場を去りました。

 

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(これでした)

 

 

より揺さぶられた人が主役

 

連ドラも映画も、

いわゆる「人間ドラマ」が好きでよく見ています。

 

で、先週突然、感動するドラマってこんなんでは!? 

と気づいた気がしたのでメモ。

 

通常よくあるのは、

主人公がストーリーを進行させるパターン。

本人がさまざまな困難や喜びに出あって成長していくというもの。

でもそういう展開だと、

役者がどれだけ上手くても主役に共感できなければ

楽しめない気がするし、何より世の中って

一人の人物にだけいろいろな事件が集中するわけではない。

というわけで思ったこと。 

 

主人公は「話を進める」のではなくて

「話に巻き込まれる」のがいいのでは。

 

いいセリフを彼(彼女)が言わなくてもいいし、

辛い目やいい目や波乱万丈を味わうのは

彼(彼女)じゃなくてもよくて、

いろんな事件に翻弄される友人や家族や同僚などの脇役や、

様々に波だつ世間を見て、主人公がいろんなことを思う。

影響されて泣いたり笑ったりする。

それを、我々が見る!

…という図式になっているドラマこそが

面白いのではないか。

 

そう、揺さぶられたもん勝ちや! 

と、思ったのでした。

 

それはドラマだけでもない気がし、

たくさんの翻弄される人々を見て一緒に思い悩んだりできた人が、

面白く生きているような気がします。 

 

その時ふたりは花束だった。 2021年1月ベスト「花束みたいな恋をした」

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あれっこれうち?

ゲームや映画や音楽や本などやや狭めの趣味が

シンクロして恋に落ちる…

昔の自分たちのような、よくいる恋人たちの話。

さまざまなシーンに身に覚えがあって甘酸っぱかった。

 

行くはずだった同じライブ、減りかけのジャックパーセル、

次に進めないまま迎える終電、終電逃してひたすら歩く、

三日ベッドから出ない…キュンの連打は言うまでもなく。

趣味や好みがあまりにシンクロする人と出会うと

「この人しかいない!」と有頂天になるのだが、

実は人間は、趣味嗜好だけでできているわけではない。

東京育ちの自宅っ子次女で、両親がマスコミ勤務の絹(有村架純)と

家業を営む父ひとりを故郷に残してきた長男、麦(菅田将暉)。

書き連ねるだけでもこんなに真逆の育ち方をした二人は、

どんなに趣味が似ていても、成長するにつれ

やがて違う色の花を咲かせるようになる。

絹を愛するあまり夢を封印して就職し、

型にはまっていく(ちなみにその時期そうなってるだけで

一生はまったままとは限らないけれど)麦が痛々しかった。

 

絹と麦の性格や人生観の違いや、

リトマス試験紙のように描かれる周囲の人間関係など、

坂本裕二脚本は細やかで今回もさすが。

超大切な映画(牯嶺街少年殺人事件!)や仕事への反応など

「ちがい」を浮き立たせるシーンの数々。

初めてのキスの後の絹のセリフ

「ちなみに私はこういうふれあいは頻繁にしたい方です」にも感心した。

へぇこれを先に言っとくのか~大事だね賢明だなと。

彼女の奔放さ、意志の強さは最初から示されていたなと思った。

 

「花束みたいな恋」のココロは、最初は

「いつか必ず萎れる」という意味かと思ったが、

全く異なる種・生育の花が組まれて美しいのが花束。

そういう意味もあるのかもと想像した。

 

しかし恋がひとつ萎れても人間はそう簡単には枯れないわけで…

まだ「途中の二人」は別の道を行く。

そして、長く添うことになる相手とは

「どんな時期の自分として出会うか」が大きいのだよな、とひとり納得。 

 

…年寄りの感想ですかね。。

 

「花束みたいな恋をした」 監督/土井裕泰 脚本/坂元裕二

 

・・・・・

1月は14本鑑賞。

1986年公開のニューマスター版でルトガーハウアー出演の

ヒッチャー」と迷いましたが、

今年公開作品ということで「花束みたいな〜」に。

ヒッチャーもかっこよくて最高でした。

 

2021 年1月 鑑賞順

*新感染半島 ファイナルステージ

*Swallowスワロウ

アクエリアス

*ニューヨーク親切なロシア料理店

*許された子供たち

*聖なる犯罪者

*本気のしるし

ヒッチャー ニューマスター版

鬼滅の刃 無限列車編

*オアシス リマスター版

*43年目のアイ・ラヴ・ユー

*羅小黒戦記(字幕版)

*花束みたいな恋をした

*天国にちがいない

 

 

なぜか映画が止まらない

 

映画をそこそこ観ています。

2020年は152本。

配信&リバイバル上映込みですが、

だいたいひと月12~3本の計算です。

 

こんなに見始めたのは、3年前くらいから。

5年前にフリーランスになってから、打合せが例えば

11時から京橋、16時から広尾、という具合に入ってしまった時。

中途半端に空いた時間を事務所(自宅です)に戻るのも非効率だし

かといってずっとカフェにもいられないし。

ってことで「座って休めて」「冷暖房完備で」

「わりとどこの町にもあって」「楽しく時間がつぶせる」場所、

映画館に行くようになりました。

 

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行き始めると予告編はあるしチラシももらってくるしで

次々に観たい作品に遭遇してしまい、

もともと好奇心で体を壊すようなタイプなので

輪っかに乗って回り続けるハムスターのごと、

ラッキョを剥き続けるチンパンジーのごと、

鑑賞が止まらなくなってしまいました。

 

もともと嫌いではなかったものの、それまでは

「今年もう100本観ちゃった」みたいな人に会うと

「すごいですね〜」とか言いつつ

(よく時間あるな〜内容覚えてるの?)など失礼なことを思って

とても真似できませんな〜と遠巻きにしていた口だったので、

自分がそっち側の人になるとは全く思っていませんでした。

 

これは人によると思うけど、

私の場合は映画マニアでもなんでもなく、

予告とチラシに刺激された「好奇心」と

仕事でくらったダメージからの「逃避」と

日常を忘れさせてくれる刺激への「依存」で

本数がかさんでいるだけなのです。

なので、「よく観てるね〜」と、以前の私のように

驚く人がいるとひたすら恥ずかしくて

(きっと節操のない好奇心や逃避にネガな感情があるせい)

いえいえいえ…と後ろに下がってしまう。

 

なんか心のどこかで、

コンテンツ消費ばっかりしていて申し訳ない、

という気持ちがあるのですね。

食いしん坊でスミマセン、とか

買い物依存で恥ずかしいです、にも近いのかも。

 

とはいえ、実は観た映画は全部、

インスタグラムに記録しています!

感想もちょこちょこ書いているし、、せっかくなので

ネタに詰まっているこちらのブログにも月一回、

その月のベスト1本を貼ってみることにしました。

依存と逃避行動からの還元!?

 

まずは2021年の1月のベストから。

次の記事にて:)