書きたいはうれしい
文章には、書かねばならないと書きたいがあると思う。
書かねばならないの筆頭は、いまなら仕事メールかしら。
「お世話になっております」や「メールありがとうございます」に始まり
ふさわしい内容が誤解なく伝わるように書く。
顔が見えない相手に粗相がないようにと神経を使うから、
時間もかかる上に自分のキャラもちょいちょい偽っていて心苦しい。
子供の頃なら読書感想文かしら。
私はこの感想文というやつが苦手で苦手で、
すごく面白かった本でも「感想文に書きなさい」と言われると固まってしまい、
話の筋を追ったようなつまらない文しか書けなかった。
今思えばコツみたいなものをつかんでなかったせいだと思うのだが、
じ〜んと来た時点がクライマックスで、
読み終わってしまうともう思い出したりすることが
面倒だったのだと思う。
コピーライターの仕事は受注で、分類からすると
「書かねばならない文章」になるのだけど、
「この事物を世に知らしめたい!」というお客さんの希望を
意気に感じてよっしゃ!と腕まくり、
「この部分をこう伝えたらいかが」と知恵をしぼる作業は
マジでめちゃくちゃ楽しくて、
あれはいかがか?これはどうでしょう?を一日中でもやっていられる。
これはつまり「書かねばらない」を「書きたい」に転換していて、
この転換の部分こそが「提案」になるという。
そう考えるとしあわせな仕事だなあ。
と、今ごろ気づく。
「ちゃんと自分の人生がのっかってる言葉は強い」
と言っていたのは誰だったかしら。
これはきっとそういうことなんだ。