サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

形容する言葉

 

雨。

長く愛用していた傘が壊れたため、

今日は別の傘をさしてお昼を買いに出た。

 

その傘は、明るいグリーンに黒いチェックマーク✔︎みたいなのが

全体に散らばってる柄で、

たたんで袋に入れるとサボテンを模しているのだとわかるが

広げるとその意図はちっとも伝わらず、

派手な色が服に合わせにくくて出番も少ない、微妙な傘である。

それをさして歩いている時、

ふと頭に「ばかげた傘」という言葉が浮かんだ。

 

なぜ「ばかげた」という形容詞が浮かんだかというと、

おそらく自分好みの翻訳小説の、風変わりだったり

素直じゃない登場人物が出てくる話の訳文で

「ばかげたカーテン」とか「ばかげた会話」みたいに

たまに使われていたのを気に入って、

そのままインプットしていたのだと思う。

 

ところで、「ばかげた」という形容詞は「傘」に使うだろうか。 

 

コピーを書く仕事にはいつも、いくつも形容することばが必要で、

ただ「楽しい」とか「おいしい」「面白い」「不思議な」といった

ざっくり大きな形容詞は、そのまま素直には使いづらい。

「楽しい遊園地」や「おいしいごはん」じゃ

平凡すぎて宣伝文句にならない。

「おいしい」や「不思議な」を使うとしても、

形容対象の単語と面白いギャップがあって

強烈に新鮮に見えるように使うとか(怖れ多すぎる例ですが…

糸井さんの「おいしい生活。」「不思議、大好き。」)。

むしろ「どうおいしいか」「どう面白いか」の「どう」を

どのように形容するか(または形容しないか)、と

常に頭をひねっている。

 

ある仕事で、ぶどう味のおいしさを形容するのに

「ちゅるんとおいしい」と表現したら、

「味に「ちゅるんと」とは一般的でない。修正」と、

お客さんの確認部署からチェックが入って困ったことがある。

もちろんあまり使わないから使ったのだが、

その時は説明や代案に悩んだ上に、

伝わらなかったか…と他の意味でも落ち込んだ。

 

例が卑近すぎたかもしれないけれど、仕事ではいつも

’その一行を(共感も反感も計算して)印象に残す’ 使命のもと

はまる・素敵な違和感を考えているが、

それは受け入れられる範疇でなければならないのだ。

その点で小説は自由だなあと思う。

 

だから「ばかげた傘」という表現は

「誰が買うの!?っていう微妙なセンスの傘」

「持つと何着てもおしゃれに見えない傘」

「誰もサボテンの柄だって気づかない傘」

という感じをひっくるめてぴったりだなと思ったのだ。

とはいえこの「ばかげた傘」、

パン屋との往復10分でそんなことを思わせてくれて、

実は「なかなかの傘」なのだということがわかった!

 

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