サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

偶然のつどい

 

先日、心優しい年上の知人が亡くなり、偲ぶ会があった。

事情で通夜告別式がなかったことから有志が催してくれた場で、

そこに出かけて思ったこと。

 

その会は、故人のことを敬愛していた、その一点のみで

集まった人々でごった返していた。

故人の職から広告業界の人が多かったが、

年齢さまざま、もちろん自分の知らない人もたくさん来ていて

久しぶりに会う人とお話できたり、

話したことのなかった人と自己紹介をしあったりの機会になった。

きっと、その場にいた人たちの多くがそうだったのではないか。

 

昨今、会社も学校もリモートになったりして

不特定多数と集う機会が減り、

直接話すのは年齢や趣味の近い仲間内ばかり。

だけでなく、それがラクでいいや、ってことにもなっているような。

家族や友人とごはんを食べたりはしていると思う。

でも、普段あまり会わない年齢や属性の違う人と話す機会が

極端に減っているのではないかしら。

 

それって実は大事でね。

話を合わせるとか傾聴するとか、ちょっと気は使うかもしれないけれど、

あぁ久しぶりにお目にかかれて良かった〜!

という、少しばかり心と頭の筋肉を使うような動きは、

人間に不可欠なのではないか。

世の交流がいつもの仲間だけが集まる会ばかりになったらもう

社会はブチブチに鎖が切れてバラバラのカサカサに

なってしまうんじゃないかと。

言語の断絶バベルの塔が、国内でも起きてしまうというか。

 

だから、そういう集まりに迷い込ませてくれた

偲ぶ会があってよかったな、と思ったのでした。

もちろん、心優しかった彼の人柄のおかげです。

Sさんありがとう、安らかに。

そして催してくれた友人たちにも、ありがとう。

 

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