サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

今日はいくらで何を観る

 

2017年に観た映画は88本(映画館で76本・他は録画等)。

これまででいちばん観た年になりました。

 

なぜこうも映画に行くようになったかというと、

空き時間を埋める方法を他に知らない

ということもありますが、

SNS等で知人の感想が頻繁に目に入ることや、

一回行けば予告を観るしチラシももらってくるしで

好奇心が刺激されてしまうせい。

 

沢山見るとお金もかかるので、

自営で比較的時間が自由になるのをいいことに

*1日映画の日*水曜レディースデー*半券割

*20時以降割引*配給会社の割引デー 等々を駆使。

とにかく定価1800円では観ない!方針で

安く観ることに使命を感じてしまっている今日この頃です。

 

こうなると「観たい一本をどう安く観るか」より

「空き時間に(今から)安く観れるのはどれか」という

行動をとるようになり、本末転倒…

週末は夫と「夫婦50割」でやっと

好きな時間に観たかったものを観る、という。

 

でもですね、

最初の期待値が低いせいかもしれませんが、

安いからと若干渋々観た映画が意外に良くて

感動することも多いのです。

 

自分の好きなものなんて狭くてたかが知れてます。

今年もこの「じゃあ今日はこれしかないよ」に流されつつ、

面白い一本に出会いたいと思っています。

 

(写真は去年「今日はこれしかないよ」で良かった一本:)

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何せこの雪で

 

東京は久しぶりに大雪です。

積雪警報が出るのは2014年以来4年ぶりだそうで、

「積もってる」「電車止まってる」「早く帰ろう」と

ニュースもSNSももりあがっています。

誤解を恐れずに言えば、

困りつつも誰もが少々うれしそうではありませんか。

台風の時も同様ですが、ふわっと蔓延する

この高揚感はなんでしょう。

  

「やりたいのはやまやまですが今日は無理ですね。

何せこの雪で」。

今日は先生もクライアントも借金取りも文句言えないはず…

不可抗力を前に「胸を張ってあきらめる贅沢」、

この一時停止感が人々を解放するように思います。

逆に、悪天候でもないと忙しい日常や

退屈というルーティンから降りられない

私たちなのかもしれません。

(もちろん激甚災害は除きます)

 

最終的には大丈夫、が前提のワクワクや心配。

「コマッタコマッタ帰んなきゃ」と言い合う小さな贅沢。

ひかえめにもりあがるそんなひと時を大切に感じて、

今夜はそれを楽しもうと思いました。 

 

というわけで降雪最高潮のタイミングで郵便を出しに:)

 

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溺れかけている人

 

わたしの大切な友だちは電話で泣いたり笑ったり、

それはもう水面と水中を浮いたり沈んだりしてるのを

水中カメラごしに見るようで、

ああこれは溺れている人だ、涙の海に、

でも天気のいい海に溺れかけている人だ、と思った

 

カナヅチの自分はどうやって助けていいかわからなくて、

ほんとうは一緒に溺れるしかないか

むしろ溺れてしまいたいと思うのだが、

自分には溺れることは許されてないのだなと

わかっているのだ。

 

(一昨年のある時期に思ったこと。) 

 

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耳コピ目コピ

 

幼い時からピアノを習っていたこともあって、

なんとなく絶対音感的なものがある。

(プロや弦楽の人からすると、趣味のピアノレッスンで

身につけた程度の音感は「点」ではなく「幅」で

とても「絶対」とはいえないらしいが、ここはなんとなく)

 

絶対音感があると、

メロディを聴いてすぐ譜面にできるし、

他にも

駅の発車のジングルやカラスの鳴き声がドレミで聞こえるし

方言のイントネーションがかなり正確に再現できる(笑)。

バンドを組んでいた頃はこの「耳コピ(耳で音程をなぞる)」で

新しい曲を聴いてすぐ弾く手に移せてなかなか便利だった。

人生が変わるほどのトクをしたことはないけれど。

 

ところで、「耳コピ」があれば

「目コピ」もあるなというのが最近の感想。 

仕事で長めの文章を書く時などは

直前まで読んでいた文章の「ノリ」に影響されがちで、

これは知らず知らず「目コピ」しているのだと思う。

何かのはずみでアイドルのブログを読んだ後は

やたら短く行替えがしたくなったり、

古めの翻訳小説を読んだ後などは

言い回しが硬くなったり漢字が多くなったり。

…うむ、良し悪しだ。

 

 巷の素敵なコピー(ここはコピーする意でなく宣伝文のこと)を

「目コピ」しまくればもっとよい一本が出てくるのではないか、

そう思って、頭脳や思考を通さず憑依させるように

広告コピーをたくさん読んでみるが、

残念ながらそれですぐ自分からも溢れ出てくるほど

ことは簡単ではない。

とはいえ案外文字通り「身についてる(で片っ端から剥がれおちる)」

気もするため、先週は、

新聞や年鑑や著作などいろいろな人の手になる広告コピーに目を通した。

新年早々インフエンザで外出できなかったせいもある。 

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 

 

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年賀状はDMか

 

そろそろ今年も業務終了。

昨日は忘年会に出かけるぎりぎりまで年賀状を書いていました。

夏からの腱鞘炎がまだ痛くてなんともヘニョへニョした筆跡…

本当はいまは極力手は使わないほうがいいらしいので

宛名は印刷にしたかったのですが、

以前「年賀状くらい手書きすべきだよね。

我々こころを伝える仕事なのに世話になった相手に印刷って」

とおっしゃる先輩の言葉になるほど、と思って以来の手書き。

ヘタな字で相手に申し訳ないなぁと思いながらも

ハイ次、ハイ次、と没頭し、がんばって数百枚書きました。

 

とはいえ、フリーになってからの年賀状(家族名義のではなく

仕事用の)には半分くらいしか返信がありません。

挨拶なので返事を求めるものではないのですが、

一枚一枚その人向けの一言は添えるので、少々寂しいのは確かです

(フリーの割り切りが足りないかな?)。

特に、会社員時代職場で毎日顔を合わせて

何年もやりとりしていた相手から、

独立したとたんパタリと賀状がこなくなったりすると

あなたにとって今年から私は友人じゃなくて業者さん?

などと邪推したりしてw(やはり割り切りが足りないな)。

 

そういえば自分も会社員時代、

取引先の方からの賀状は受け取るのが仕事始め以降になることや、

親しい人には個人の賀状を出すものの

社用ハガキが切れていたりするとつい遅れたり

そのままにしてしまったり、ということがありました。

仕事先に送る年賀状って、

もらった方にとっては「挨拶(もちろん)」「営業活動」

もっというと「DM」くらいの感じなのかと思います。

そして突き詰めて考えると、仕事上の年賀は

出す側の自分にとっても限りなく「手紙」寄りではありながら、

相手によって「DM」感を忍ばせていることも否めない。

(もう一つの要素としてここに支払いのベクトルも関連している…?

トホホすぎるので突き詰めるのはやめよう)

 

本年ラストはなんじゃそりゃ!なトピックになりました。

ぼやぼやせずにこれから大掃除。 

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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知らないことを知ろうとすること

 

人生は短いね。

 

と突然思ったわけではない。

が今年もあっというまにすぎてもう師走。 

一年の計を元旦に立てる派では全くないものの

年頭に漠然と

「英語をもうちょっと使えるように」

「できたら一人旅」

「週一程度は更新するブログを開設」

などの思いはあった。

なのに結局何一つ実現しないまま、

ふやけた年末を迎えている。

 

1年経つということは1歳年をとるということで

知見も人としても深まっていきたいのに、

勉強することについては中学以来のばかちんのまま。

情報に触れたり知識を得ることは好きだけれど、

私がしているのは「好きなもの」「好きな分野」を

手当たり次第貪っているだけで、

まあ言ってみればおやつを食べているのと同じ…。

本来すべき勉強とは

「まだ知らないことを知ろうとする」ことなんだろうな。

 

実は最近ある人が

「なるべく興味がない分野の本を読むようにしてる」

と言っているのを聞いて感心したのだ。

「好きでちょっと知ってる分野」を深掘りするのは楽しいけれど

「ほとんど知らないこと」を耕していくことは

とっつきにくいがゆえにアタマが刺激されるし

想像もしなかった面白いことが見つかって

解釈しだいで意外にも自分のフィールドで役立つ、

なんてこともありそうだ。

 

ならばまずは「自分が知らないこと」を知らないと。

 

自分はどんなことに「興味がない」だろう?

どんな分野のことをまるで知らなくて、

これまでどんなことを素通り、いってみれば

冷淡にしてきただろうか。

  

 

今年の一行「不安と希望」

 

TCC(東京コピーライターズクラブ)という

団体に所属していまして、今年は幹事として

広報部の活動を手伝っています。

その中のひとつとして先月末、

ビッグデータ解析による今年の広告コピー」

というリリースを作成しました。 

 

これは、膨大なデータ解析から市場や世の中を読む会社・

株式会社かっこ さんの協力で1年間の広告コピーを分析。

品詞別に登場数の多かった言葉をランキングし

最も一般的なコピーフレーズの構造にマッシュアップして

「今年のキャッチコピー」として発表するもので、

今年で3回目となります。

 

広告キャッチコピーは、コピーライターが市場や社会、

時代の風を思い切り呼吸して咀嚼、制作し

クライアントが了承して初めて世に出るもの。

ですから、世相のある側面は確実に映していると言えると思います。

ちなみに昨年の一行は「私たち、日本人。」でした。

オリンピック発表年だったことやあれこれに思い当たり、

個人的には大いに納得しました:)

そして今年の一行は、

 

「不安とか希望とか、会う?」。

 

昨年頻出した「日本人」なる言葉は

今年はすっかり姿を消しています。

この一本、みなさんのなるほど感はいかがでしょう?

見解は上記の記事に執筆しておりますので、

ぜひご一読ください。