サバ缶とボッコちゃん

青魚と短編小説をこよなく愛するコピーライターです。 ブログタイトルは時々変わります。

そういうの好き、じゃなくてこれが好き。

 

人と距離をつめる方法のひとつに

「共通点を見つける」というのがある。

好意を持った相手が「いい」と言っているものに

「自分もいいと思う」と共感をしめす。

映画でも音楽でも小説でもサッカーチームでも。

ただ、親しくなりたいあまりそんなに共感していない事柄について

相手に合わせたことは…

もちろんある。

 

昔、つきあっていた人があるイラストを

好きだと言って見せてくれた。

誰が描いたもので絵が何だったかも忘れてしまったが、

これのどこがすごいかどこに惹かれるかを

その人は熱っぽく説明してくれた。

その時私はその絵にそう強烈な印象は受けず、

正直ふうん、という感じだった。

 

当時その人とはいろんな事情であまり会えてなくて、

私はちょっと不安だった。

だから絵を見せられた時、精一杯の気持ちでこう言ったのだ。

「こういう絵、すごく好き」。

すると彼は哀れむように私を見て言った。

「こういう絵、じゃなくて「この絵」が好きやねん」

 

その頃よく聴いていた

ストーンズの「Tatoo You」というアルバムに、

「Waiting on My Friend」という曲がある。

終盤の歌詞はこうだ。

♪ But I'm not waiting on a lady / でも俺は女を待っているんじゃないんだ

I'm just waiting on my friend / 俺はただ友を待っているんだ 

 

「こういう絵、じゃなくて「この絵」が好き」。

と言ったときのその人の視線を今でも思い出せる。

その瞬間私は、終わってたと悟った。

 

「Waiting on My Friend」は ”俺は女ではなく友を待っている” と歌っていて、

それは「互いを認め合える存在を待っている」という意味に取れ

(それが女でもいいじゃん、と今は思うけど)、

待たれてない自分を感じて辛かった。 

と同時に、心酔する芯のようなものを持っている

人間でありたいと、ほろ苦く刻んだ。

 

その後も仕事や社交の場で「そういう感じ、いいと思います!」と

当たり障りのない発言をしたことは何度かあって、

その度に「今「ふり」をしたな〜」と自己嫌悪に陥る。

そんな空気を読むような態度が正解かどうかは

そのうち結果が出てくるのだろうけど、

少なくとも「自己嫌悪正常!」と思い続けてはいきたいと思う。

 

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(※歌詞が、英語的に正しい waiting 'for' my friend ではなく

     wainting 'on' my friend なのは、当時移民に見られた表現を

    M.ジャガーが親しみの気持ちから使ったのだそうです)